「偏光」を発するディスプレイ材料を開発
のぞき見なんてさせない
他人に携帯電話の画面を見られるのは、あまりいい気がしません。それを防ぐため、これまでは、横から見えないようにのぞき見防止シートを貼らなければなりませんでした。しかし近いうちに、わざわざそんなことをしなくてものぞき見されない画面ができるかもしれません。
その基となる技術を開発したのは、青山学院大学理工学部の長谷川美貴准教授、および財団法人高輝度光科学研究センター、独立行政法人理化学研究所、旭化成株式会社の共同研究グループです。長谷川准教授は、分子を並べる方法を用いて、特定の向きの光しか発しない「偏光発光体」を世界で初めて発見しました。これを使って、正面だけに光を発するようにすれば横からは見えなくなり、のぞき見を防ぐことができます。
この技術は今後、銀行端末ディスプレイや高速光通信などの、高い安全度が要求されるあらゆる場面で使われる可能性があります。
自然界にチャレンジ!
長谷川准教授があらたに開発した偏光発光体は、これまでの技術と何が違うのでしょうか。まず、「発光」(ディスプレイ材料)と「偏光」(のぞき見防止シート)に分けられていた機能を一つにしました。それによってデバイスが単純化されるため、製造工程を減らすことができ、薄膜化が可能になります。また、この材料からは、2つの偏光を同時に発光させることができます。つまり今後の研究次第で、一つの画面から複数の映像を同時に出すことができるのです。
偏光発光体は、発光分子、希土類金属*、界面活性剤*の3つからできています。界面活性剤を何層か重ねた膜のことを、一般に「ラングミュア&ブロジェット膜(LB膜)」(図1)といいます。長谷川准教授は、希土類金属と発光分子を組み合わせることで、LB膜に特殊な性質を持たせたのです。
このLB膜に着目したところに、長谷川准教授の研究に対する姿勢が表れています。「自然界にチャレンジ!」これが准教授のモットーです。「LB膜は、“人間の手”で分子一つ一つを制御して作ります。それに、この膜は液体でも結晶でもない“不自然”な状態なんです」と、自然にないものを作り出すところに魅力を感じると言います。
図1. ラングミュア&ブロジェット(LB)膜。
界面活性剤の単分子膜を石英板に積み重ねた、結晶ではないが規則性のある固相。超純水の表面に界面活性剤の溶液を浮かべ、(1)石英板を垂直に沈めると1層目ができ、(2)石英板を上げると2層目ができる。これを繰り返せばLB膜を厚くすることができる。
光の向きや色まで変える
偏光発光体は、図2のような形をしています。これは、SPring-8のビームラインBL02B2を使ったX線構造解析で明らかになりました(図3)。
カギとなるのは、見事な正三角形をしている発光分子のメレム(図4)です。これは、針状に界面活性剤が並んでいるすき間に挟みこまれています。「メレムが発光することは2006年に私たちが発見していたので、これを使ってみようと思ったのです」と長谷川准教授。メレムは、LB膜の中で溶液でも固体でもない特殊な環境におかれると、偏光を発するのです(偏光については図5参照)。
希土類金属にはさまざまな役割があります。今回は、長谷川准教授が以前から注目していたプラセオジム(Pr、原子番号59番)とユウロピウム(Eu、63番)を使いました。役割の一つは、希土類金属の磁石のような性質を利用してメレムの電子を偏らせて、偏光の向きを変えることです。
図2のように、0°偏光を入れると、通常であればそのまま0°の光が出てきますが、同時に、希土類金属の影響で波の向きが30°回転した光も出てくるのです。しかも、0°偏光は波長が375nm(ナノメートルは100万分の1mm)で黄色を示すのですが、30°偏光は波長が405nmに引き伸ばされてオレンジ色を示します。つまり、この偏光発光体によって光の色まで変えることができるのです。
これらの事実は、SPring-8のビームラインBL02B2を使った実験で明らかになりました。LB膜は、界面活性剤を10層重ねた厚さ約270Åのものを使いました。とても薄い膜(分子が少ない)なので、非常に明るい放射光でなければ正確に測定できないのです。実際にこのLB膜では、研究室のX線回折装置では光が弱く測定が困難でした。しかし、SPring-8の高輝度放射光を用いると、高い精度の測定結果が得られました。
図2. 偏光発光体の拡大断面図。
図の左から0°に偏光し、紫外線を当てるとLB膜から0°と30°の偏光角を持つ複数の光が発せられる。
図3.
b)は希土類金属と界面活性剤のみのLB膜。X線構造解析(右のグラフ)により、プラセオジム(Pr)が規則的に並んでいることがわかる。a)は偏光発光体。三角形をしたメレムが規則性をもって取り込まれている。
図4. 正式名はトリアミノ−トリ−s−トリアジン。
おもに高分子原料として合成されているメラミン樹脂の一種。旭化成株式会社研究開発センターにより、効率のよい合成法が開発された。2006年に長谷川准教授のグループが発光を発見し、希土類錯体の合成とその発光機構を解明した。
図5. 偏光は、光が波の性質を持つために表れる現象。
偏光子を透過できる光と透過できない光がある。左は偏光子と垂直なため光が通らない。右のように限られた向きの光だけが通過して、偏光となる。
作るにはコツがいる
この偏光発光体を作るには、職人技ともいえるコツが必要です。メレムを超純水に溶かし、その水面に、希土類金属と界面
活性剤がゆるく結合した分子をたくさん、しかし薄く浮かべます。ここが難関です。一気に入れてしまうと水の表面に浮かばないので、ピペットの先からしずくをそっと水面にのせるようにしなければなりません。長谷川准教授は「慣れないと、ピペットを持つ手が震えますね」と語ります。また、ごみが入るときれいなLB膜が作れませんし、温度や振動も関係するので細心の注意が必要です。
ここまで準備したら、あとはLB膜を作る作業と同じです(図1参照)。4cm×1cmの小さな石英板を毎分2cmの速さでゆっくり上下させて、偏光発光体を作っていきます。慣れた人でも一つの試料をつくるのに2日はかかるそうです。作るのは大変ですが、一度作ってしまえば引っかいたりしない限り壊れません。扱いが簡単というのは、いろいろな作業がしやすいのでたいへんに重宝します。
広がる発光体研究
大きな発見をした長谷川准教授ですが、「まだやらなければならないことはいっぱいあります」と言います。
今回発見した偏光発光体は30°偏光しますが、その理由がまだわかっていません。原因を追究することで、偏光の角度を制御できるようになるかもしれません。さらに、いまはまだ0°偏光と30°偏光の強度比が制御できていません。他にも、界面活性剤分子の長さを調整して膜の厚さを変えてみたり、他の希土類金属を試したり、石英板を窒化ケイ素(SiN)といった素材に変えてみたりして調べる必要があります。また、さらに3本のビームライン(BL01B1、BL25SU、BL39XU)を利用して、LB膜の本質に関わるデータを取り始めています。
「いろいろな金属や界面活性剤を組み合わせてみようと思っています。どんな性質を持った発光体ができるか楽しみです」と長谷川准教授は、生き生きと今後の展望を語ってくれました。
コラム 遊び心を忘れない
長谷川准教授の研究室は、遊び心で満ちあふれています。まず目に付くのがさまざまな周期表グッズ。机の上には積み木のインテリア、壁のポスター、絵本、パソコンのスクリーンセイバー、そして手にしたマグカップ(しかも4つ)! さすが、「私、周期表マニアなんです」と公言するだけのことはあります。 自然科学に対してはあくまでも真摯に、しかし遊び心を決して忘れない。その姿勢がたくさんの面白いアイデアを生み出しているのかもしれません。これからの活躍に期待です。 |
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ
用語解説
● 希土類金属
原子番号57番のランタン(La)から71番ルテチウム(Lu)までのランタノイドに、21番スカンジウム(Sc)、39番イットリウム(Y)を加えた17種類の金属元素を指す。レーザー素子や永久磁石などの原料として用いられている。
● 界面活性剤
洗剤や石鹸などによく使われる、親水性と親油性を併せ持つ物質。この研究では、ろうそくの原料にもなるステアリン酸を使っている。
この記事は、青山学院大学理工学部化学・生命科学科の長谷川美貴准教授にインタビューをして構成しました。