太古の生物に学ぶ活性酸素の除去メカニズム
太古の生物に学ぶ
およそ35億年前、地球上で初めての生命が誕生したとき、大気中には酸素がありませんでした。
その後、シアノバクテリアのような光合成を行う生物が現れ、大気中に酸素が蓄積されていきました。20億年以上昔のことと言われています。その後、生物は酸素を取り込むよう進化しました。酸素を利用することで大きなエネルギーを得ることができるからです。この機能は人間にも受け継がれています。ところが、酸素を使うために、同時に大きな問題を背負うことになりました。活性酸素*です。活性酸素は、人間にとって老化やがん化、病気の原因とされる物質です。
人間における活性酸素の研究は進んでいますが、まだ解明されていないこともたくさんあります。産業技術総合研究所の中村努さんは、現存する原始生命に最も近い「古細菌」(図1)について研究し、新しい活性酸素の制御メカニズムを発見しました。
図1.
地球上の生物は遺伝子研究により、真核生物(Eukarya)、古細菌(Archaea)、真正細菌(Bacteria)の3つに大きく分類される。今回の研究では、海洋の熱水環境に生息する好気性超好熱性古細菌エアロパイラム・ペルニクス(Aeropyrum pernix)を用いた(右の写真、鹿児島県トカラ列島の小宝島で採取)。これはゲノム解析が完了したなかでは最も高温で生息する好気性生物で、京都大学・左子芳彦教授らによって発見された。(写真提供:左子教授)
過剰な活性酸素を処理する
酸素は本来、生命を維持するために必須の物質です。呼吸などにより取り込まれた酸素はエネルギーを生み出す生体反応に大きく貢献します。
しかし、過度の紫外線が当たるなどの要因によって、酸素は活性酸素へと変化します。細胞内で活性酸素が増えすぎると、それはタンパク質やDNAなどを傷つけてしまい、有害な物質となります。これを防ぐため、生物は抗酸化システムを発展させてきました。「抗酸化タンパク質」を使って、体内の過剰な活性酸素を処理するのです。
「古細菌を使ったのは、大昔の自然や生命に学ぼうと思ったからなんです」と中村さんは言います。そもそも酸素を吸収し始めた頃の生物は、いったいどんなメカニズムで活性酸素をコントロールしていたのでしょうか。
古細菌の持つ抗酸化タンパク質「ペルオキシレドキシン(Prx)」は、活性酸素の1つ、過酸化水素(H2O2)を無害な水分子(H2O)に変える働きを持っています。中村さんは、この抗酸化タンパク質の機能を知ることで抗酸化システムを理解し、生命科学、医療などに貢献できるのではないかと考えたのです。
化学反応を途中で止める
2004年から05年にかけて、中村さんはSPring-8のビームラインBL38B1を使ってPrxの構造解析を行い、2006年に論文発表しました(図2)。図中の赤丸のところには「システイン残基」があり、ここで過酸化水素が処理されることがわかりました。しかし、興味があるのは“どうやって”処理されるかです。
中村さんは、過酸化水素が処理される瞬間を捉えようと考えました。とはいえ、処理反応は日常の感覚でいえば一瞬です。そこで、反応途中のPrxを凍結させることにしました。
手順はそれほど複雑ではありません。まず、過酸化水素の溶液にPrxの結晶を浸します。1分弱で引き上げて、すぐに約−170℃の冷却窒素ガスを当てて凍結します。それを、そのまま測定するのです。この実験は、大阪大学大学院工学研究科の井上豪教授と共同で、ビームラインBL41XUにて行いました。
図2. 抗酸化タンパク質ペルオキシレドキシンの立体構造。
アミノ酸が250個結合した高分子(右)が10個、リング状に集まって(左)構成される。赤丸の部分にシステイン残基があり、過酸化水素を処理する。
過酸化水素を取り込むメカニズム
その結果、古細菌のPrxは、従来とは異なる新しい反応メカニズムで過酸化水素を処理していることがわかったのです(図3)。図を見てもわかるように、どちらのメカニズムでも、システイン残基が酸素を取り込んでいくのは同じです。それは、過酸化水素を処理する機能自体は変わらないことを示しています。
違いは、古細菌のほうにはヒスチジンというアミノ酸残基*があることにより、途中の経路が変わったことです。途中に現れる「スルフラン誘導体」。これには何か意味があるのでしょうか。中村さんは、「実は、どちらの反応が早いのか、エネルギー的に有利なのか、まだよくわかっていません」と言います。
この反応は人間には無く、古細菌特有のものです。これが従来のメカニズムより効率的に過酸化水素を処理できるとわかれば、医学への貢献は大きなものとなるでしょう。図3. 過酸化水素の処理メカニズムの1つ。従来のものも今回新たに発見したものも、右へ反応が進むにつれて、過酸化水素(H2O2)から余分な酸素原子(O)を取り込んで処理している。
図3. 過酸化水素の処理メカニズムの1つ。
従来のものも今回新たに発見したものも、右へ反応が進むにつれて、過酸化水素(H2O2)から余分な酸素原子(O)を取り込んで処理している。
“今ここ”だけではわからないこと
今後、新しいメカニズムの長所や利用法を見つけていくことになりますが、すでに1つ特徴的なことがわかっています。このスルフラン誘導体は、これまで天然物には存在しないと考えられていた「超原子価化合物」(図4)であることです。人間が、自分たちの知恵によって作り上げたと思っていた超原子価化合物を、実は大昔の生物が持っていたという事実は、化学分野の研究者にとっても大いに興味ある発見でしょう。
中村さんは、こんな例え方をして、自然に学ぶことの面白さ大切さを強調します。「もし仮に、火星にコケが生えていたとして、地上のものとは全く違うメカニズムで生きているのだとしたら、私はそれを何とかして知りたいと思います」。
火星はもちろん人類未踏の地ですが、20億年以上昔の地球も別の意味で未踏の地です。“今ここ”だけを見ていてはわからない自然のメカニズムを見つけ出し、それを活用する。学生の頃から酵素反応やタンパク質構造形成といった生体反応を扱い、生命や自然の偉大さを目の当たりにしてきた中村さんならではの壮大な考えです。
図4. 天然で初めて見つかった超原子価化合物。
タンパク質部分が無いモデル化合物(左上)とよく似た構造をしている。通常、原子の最外殻に電子が8個あると、分子やイオンは安定する。たとえば炭素原子(C)は最外殻に電子が4つしかないが、4つの水素と結合して電子を共有しあうことにより最外殻に8個の電子を持つことができる。これがメタン分子(CH4)である。最外殻に8個を超える電子を持つものを超原子価化合物といい、スルフラン誘導体は硫黄(S)の最外殻に10個の電子がある。
コラム SPring-8に響くトランペット
学生の頃にブラスバンド部でトランペットを吹いていて、昨年その趣味を再開したという中村努さん。今は2時間ずつ週2回の合奏練習に、時間を見つけての個人練習にいそしんでいます。いつでも吹けるように、部屋の片隅にはケースに入ったトランペットが置いてあります。
忙しい中いつ練習するのかと不思議に思っていると、「SPring-8での測定の待ち時間とかに練習していますね」と中村さん。「蓄積リングの内側は三原栗山という山なんですが、ここを練習場所にしています。といっても、奥は立ち入り禁止なので、禁止と書いてある立て札ぎりぎりのところでやっています」と笑いながら語ってくれました。
文:吉戸智明 協力:サイテック・コミュニケーションズ
用語解説
●活性酸素
酸素が化学的に活性になった化学種の総称。OH、O2−、H2O2などがある。生体分子を酸化させ、本来の機能を失わせることがある。特にDNAが酸化されると、複製エラーが生じやすくなる。
●アミノ酸残基
残基とは、化学物質の部分構造を示す言葉。タンパク質はたくさんのアミノ酸からなるため、特定の部分を示すときにアミノ酸残基と呼ぶ。
この記事は、産業技術総合研究所セルエンジニアリング研究部門の中村努主任研究員にインタビューをして構成しました。