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むし歯予防ガムが効くわけ

むし歯の予防

 最も身近な病気、むし歯。命にかかわることはまずないとはいえ、あの治療はいつまでたっても嫌なものです。これまでは、歯みがきなどの「予防」が積極的に行われてきました。しかし近年、歯の健康維持と増進を助ける特定保健用食品*1の開発が進み、その1つとしてガムが注目されています。
 むし歯は、口の中の細菌が糖質から酸を作り、歯を溶かしてしまう病気です。歯垢(しこう)は目に見えるむし歯の原因で、これは食べ物の残りカス、唾(だ)液、細菌などが付着したものです。歯みがきには、この歯垢を削り取る効果があります。
 歯みがき粉などを使うことによって効果はさらにあがり、中でもフッ素やハイドロキシアパタイト*2を含むものは、歯をコーティングして守る作用があります。なお、歯垢は放っておくと歯石となって歯に付着し、歯みがきなどでは取れなくなります。

ガムでエナメル質を再生する

 2003年、積極的な予防効果が期待されるガムが現れました。このガムは特定保健用食品の認可を受けており、リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca®(ポスカ)江崎グリコ株式会社*3)というハイドロキシアパタイトの原料が含まれています。この物質はジャガイモのでんぷんから得られますが、以前はブドウ糖を生産する際の副産物でしかなかったものです。
 江崎グリコがこの物質に目をつけたのは1995年から。同健康科学研究所マネージャーの釜阪寛さんをリーダーに、リン酸化オリゴ糖カルシウムの原料が最も多く含まれる北海道産のジャガイモを使い、さまざまな性能評価試験を行った結果、歯の健康維持に効果があることがわかりました。
 リン酸化オリゴ糖カルシウムの効果を説明するためには、むし歯についてもう少し知らなければなりません。キーワードは「脱灰(だっかい)」と「再石灰化」です。
 歯は外側から、エナメル質、象牙質、歯髄とあり(図1)、エナメル質は直径約20nm(ナノメートル:1nmは10億分の1m)、長さ約100nmの六角柱のハイドロキシアパタイト微結晶が並んだ状態にあることで強度が保たれています。エナメル質に穴が開き始めた状態をむし歯(専門用語で「う蝕(しょく)」)と言い、これはエナメル質からリン酸カルシウムが溶け出す「脱灰」によって起こります。
 ところが、最初の段階では最表層ではなく内側からミネラルが抜け出し、見た目にはエナメル質の表面に穴(実質欠損)は確認できないものの、歯に透明感がなく白く濁った部分が現れます。これは「初期う蝕」とよばれるむし歯一歩手前の状態。この段階では、唾液などの働きによってリン酸イオンとカルシウムイオンが補充される「再石灰化」により、歯が元に戻る可能性があります。リン酸化オリゴ糖カルシウムには、この再石灰化を助ける働きがあるのです。

図1. 歯の構造(出典:Wikipedia)。

図1. 歯の構造。

1エナメル質、2象牙質、3歯髄、4歯肉、5セメント質。

結晶はどれだけ再生するか

 リン酸化オリゴ糖カルシウムによる再石灰化の様子は、これまでミネラル成分の変化量を測るTMR(Transversal Microradiography)法、電子顕微鏡による形状観察、元素分析などによって調べられてきました(図4左)。しかし、これらの実験でわかるのはミネラルの量だけで、歯の丈夫さを保つ結晶の変化までは詳しくわかりませんでした。
 そこで、江崎グリコ健康科学研究所の田中智子さんが、リン酸化オリゴ糖カルシウムにより再石灰化した歯の結晶性を測定する課題に取り組みました。田中さんは「この測定にSPring-8が使えるかもしれないと思ったのは、2006年末の放射光産業利用セミナーに出たことがきっかけでした」と言います。セミナーのコーディネーターに相談したところ、高輝度光科学研究センターの八木直人主席研究員を紹介され、具体的な検討に入りました。
 試料にはウシの歯を使いました。ヒトの歯は個人差が大きいためです。ウシ歯をブロック状に切り出し、樹脂などで周りを固めます。試料は3等分して、健全・脱灰・再石灰化の各部位を作りました(図2)。
 脱灰部位の厚さは150μm(マイクロメートル:1μmは100万分の1m)しかないので、通常の数十μmのビーム径では大きすぎます。そこでビームラインBL40XUにあるビーム径約6μmの放射光X線を使いました。広角X線散乱によって結晶変化と並び方を、小角X線散乱によって結晶のすき間を測定しました(図3)。「測定では八木先生に多大なご協力をいただきました。先生のご尽力なくして、とてもここまで到達できませんでした」と田中さん。

図2. SPring-8での測定試料調製。

図2. SPring-8での測定試料調製。

試料にゲルを載せ、その上から酸を加える。この脱灰に2週間。POs - Caによる再石灰化は12時間以上を目安に行う。

図3. ウシ歯試料をセッティングする田中さん。

図3. ウシ歯試料をセッティングする田中さん。

右からX線が照射され、左の検出器で測定する。

むし歯にガムができること

 測定の結果、大きく2つのことがわかりました。まず、脱灰は原子単位だけでなく、結晶単位として失われていました。また再石灰化では、結晶単位で再生し、健全な歯と同じように結晶の向きが並んでいました(図4右)。SPring-8で得られたこれらの結果から、田中さんは、リン酸化オリゴ糖カルシウムによる再石灰化が図5のように行われているのではないかと推測しています。
 このガムは発売後も改良が続けられ、2008年8月にはスタイルを一新して再デビューしました(図6)。香料の配合比率を変えるなどして味持ちを著しく改善、また粒の大きさなどの形態やパッケージの装いも新たに、通常の食品として拡大普及をめざします。
 次の研究課題として「臨床応用をめざし、ヒトのデータを集めること。消費者に対してわかりやすく商品の価値を伝えられるようなデータを集めること」の2点をあげる田中さん。リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca® )、そしてデンタルガムの新たな可能性を模索し続けます。

図4. POs - Caによる再石灰化(左)と再結晶化効果(右)。

図4. POs - Caによる再石灰化(左)と再結晶化効果(右)。

左:TMR法で得られたデータ。ミネラル成分が、脱灰により表層付近で低下しているが(青)、再石灰化によりミネラル量が回復している(橙)。
右:SPring-8で得られたデータ。健全(赤)な状態から脱灰(青)で失われたハイドロキシアパタイト結晶は、POs - Caにより結晶性とともに再生する(緑)ことがわかる。

図5. 推測されるPOs - Caによる再石灰化。

図5. 推測されるPOs - Caによる再石灰化。

Aのようにエナメル質の成分がばらばらに再生するのではなく、Bのように結晶性も再生する。

図6. 新製品「ポスカ(フラットスタイル)」

図6. 新製品「ポスカ<フラットスタイル>」

コラム:宝くじで車3台買います

コラム

 田中さんは「宝くじで3億円当たったら車を3台買います!」と言う大の車好き。1台いくらをイメージしているかわかりませんが、自身の結婚披露宴でレゴ・フェラーリをプレゼントされて大感激するほど。あり得る値段なのかもしれません。週末に時間ができると、愛車を乗り回し、もうひとつの趣味であるテニスへ出かけます。
 仕事では、「グリコさんですよね?何でウシの歯なんか…」と言われつつも目的のものを買い付けに行く。趣味と同様、目的に向かってまい進する姿が光ります。一方、「エナメル質の再結晶化が起こることはわかっても、その詳しいメカニズムはまだわかっていません。個人的にはぜひ追究したいですね」と科学に対する情熱も持ち合わせています。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 吉戸智明

用語解説

*1 特定保健用食品
 実験データに基づいて審査を受け、効能を表示することを厚生労働省から認可された食品。「トクホ」の名で知られる。

*2 ハイドロキシアパタイト
 歯や骨を構成する主成分。人工骨など外科医療にも利用されている。構造式はCa5(PO4)3(OH)。

*3 リン酸化オリゴ糖カルシウム(POs - Ca®)
 常温での溶解度が70%以上と水溶性が高く、唾液によく溶ける。田中さんによると味は「にがしょっぱい」。


この記事は、江崎グリコ株式会社健康科学研究所の田中智子さんにインタビューをして構成しました。