ナノテクが可能にする 安全・安心な全固体型電池
全固体型電池への期待
私たちの身の回りには、電気製品があふれています。電気は、コンセントから取る場合もありますが、持ち歩く携帯電話やノートパソコンなどには電池が使われています。
電池は正極(プラス)と負極(マイナス)と液体の電解質*1から構成され、電気をつくり出しています(図1)。最近は、パッケージングなど電池をつくる技術も良くなりましたが、それでも、過熱による変形や膨張、発火事故は後を絶ちません。また、液漏れや車のバッテリーが寒さで凍ってしまったという経験をした人は案外多いことでしょう。こうした電池の性能や安全上の問題は、固体の電解質を使った全固体型電池が実現すれば解決されるものです。
京都大学教授で、九州大学の招聘教授を兼任している北川宏先生と九州大学の牧浦理恵特任助教は、理化学研究所の高田昌樹主任研究員と加藤健一研究員らと共同で、ナノサイズ(ナノメートルは10億分の1メートル)のヨウ化銀(AgI)を電解質として使う研究をしてきました。世界で初めて、室温で安定な固体電解質の可能性を示したこの研究成果は、将来性が高く評価され、2009年5月の英国科学誌 Nature Materialsに掲載されました。
図1. 従来の電池の構造と課題(左)と全固体型電池への期待
固体の電解質が見つかれば、電池はより安全で使いやすくなる。
分野を融合させるひらめき
電池に使われる電解質の条件は、電気をもったイオンが十分な量、十分な速さで移動することです。電解質に適した物質は、これまで液体しか見つかっていません。電解液に代用できる固体を探すということは、電解液に匹敵するイオン伝導性*2をもつ固体を見つけることです。
ヨウ化銀は固体でありながら液体なみの高いイオン伝導性を示す物質(超イオン伝導体)として以前から知られていました。しかし、ヨウ化銀が超イオン伝導状態になるには、147℃以上に温度を上げなければならず、実用化には至っていません。「ヨウ化銀の物理的な性質は変えようがない」と多くの人が考える中で、「ナノサイズの粒子にしたら良いかもしれない」と思いついたのが北川先生でした。化学が専門で、ナノ粒子にすると物質の性質が変わることに着目して研究していましたが、物理にも興味があり学会に足を運んでいました。物理の世界で、ヨウ化銀が固体電解質になりうるかもしれないと期待されながらも、“温度を下げる”という課題を克服できないことを知って、ナノ粒子にすることを考えたのです。金をナノ粒子にすると融点が下がることなどを知っていた北川先生にとっては、ごく自然の発想だったと言
います。
ヨウ化銀のナノ粒子
「実用化を考えると、ヨウ化銀をナノ粒子にするのが難しくては困ります」。試行錯誤の末、硝酸銀(AgNO3)水溶液とヨウ化ナトリウム(NaI)水溶液と有機ポリマー・PVP(ポリ-N-ビニル-2-ピロリドン)の水溶液を常温常圧下で混合して、ろ過、乾燥させるという簡単な方法で、つくれることがわかりました。PVPに保護されたヨウ化銀のナノ粒子は、安定性が高い上に、サイズも揃った良質なものです。また、硝酸銀とPVPの比率など、作製条件を変えることで、異なる粒子サイズをつくり分けることもできます。
こうして、直径40ナノメートルから10ナノメートルの範囲でいろいろな大きさの粒子をつくり、それぞれが超イオン伝導状態になる温度を調べました(図2)。その結果、粒子サイズが小さければ小さいほど、超イオン伝導状態になる相転移温度が低くなりました。特に10ナノメートルまで小さくすると、室温に近い40℃にまで下がることがわかり、実用化も視野に入ってきました。
図2. 作製したヨウ化銀(AgI)のナノ粒子(写真)と各ナノ粒子が超イオン伝導状態になる相転移温度(グラフ)。
AgI粒子の状態は、温度を上げると通常状態(β / γ 相)から超イオン伝導状態( α 相)に相転移し、その粒子が小さいほど、相転移温度は低くなる。
世界が認める研究成果
なぜナノ粒子にすると、より低い温度で超イオン伝導状態になるのでしょうか。この問いに答えるために、SPring-8の粉末結晶構造解析ビームラインBL02B2で構造解析を行いました(写真1)。
ヨウ化銀は、正の銀イオン(Ag+)と負のヨウ化物イオン(I−)からできたイオン性化合物です。ヨウ化銀は室温では、β 相とγ 相と呼ばれる状態で存在し、どちらもイオン伝導性に乏しい状態です。温度を上げるとヨウ化物イオンの間を銀イオンが液体のように高速で動き回るα相と呼ばれる状態になります。このような状態(α 相)は副格子融解と呼ばれ、超イオン伝導状態を示します。通常、ヨウ化銀が完全にα 相になるには、147℃まで温度を上げなければなりません。しかし、粒子をナノサイズにすれば、より低い温度でα 相になるのです。
これらα β γ 3つの相の比率は温度によって変化します。α 相が占める割合が大きいほどイオン伝導性が高いと予想されますが、それを明らかにするためには、α β γの比率がわからなければなりません。これら3つの相の結晶構造はそれぞれ異なります。BL02B2は、物性に関連した精密な結晶構造解析に適していて、α β γ 相がそれぞれどのように存在するかまで詳細な構造解析が可能です。図2のグラフに示すP点では、直径約10ナノメートルのヨウ化銀をいったん190℃に加熱したのち、約40℃まで温度を下げて測定したところ、超イオン伝導状態を示すα 相の占める割合は70.7%、β 相は18.4%、γ 相は10.9%でした。
「イオン伝導性と構造の相関に関するデータは、Nature Materialsでも高く評価されました」と北川先生。世界のトップ科学雑誌が求めるデータの質はますます高くなっています。
写真1. ヨウ化銀ナノ粒子の構造解析に使われた粉末結晶構造解析ビームラインBL02B2(撮影:吉岡悟)。
実用化まであと一歩
北川先生は、ヨウ化銀のナノ粒子を使った全固体型電池とはどのようなものになるか、具体的に考え始めています(表紙)。負極の銀がイオンになり、その際に放出された電子が電気として使われます。負極の銀イオンは固体電解質のヨウ化銀の中を移動して正極の五酸化バナジウムに到達します。今回の研究で、直径10ナノメートルのヨウ化銀は、α 相が全くない4℃でも、従来のヨウ化銀の10万倍のイオン伝導性を示すことがわかりました。この値は十分に実用に耐えうるものです。どうしてこのような現象が起こるのか、そのメカニズムを解明するために、SPring-8での解析が続けられています。また、10ナノメートルよりも小さな粒子については、さらに低い温度で高いイオン伝導性を示すことが予想されるだけに、結果を知りたい気持ちがはやります。
ただこれらの実験は全て、交流電流で行われたもので、電池として利用するには直流電流についての検討が必要です。実用化にはもう少し時間がかかりそうですが、私たちの生活をより安全にしてくれる全固体型電池の研究は、その実現に向けて着々と進められています。
表紙図. ヨウ化銀を用いた全固体型電池の模式図。
コラム:“これだ”と思ったらとことんやる
北川宏先生(左)と牧浦先生。 互いに認め合い研究を進めています。 |
かつて、ある本に成功の必須条件として「人間性」をあげました。人間性が良ければ、いろいろな出会いがあり自分を助けてくれるからです。一緒に研究している牧浦先生は、筑波大学で助教授をしていた頃の学生で、いったん企業に就職しましたが、もっと基礎に重点を置いた研究を行いたいと、大学に移ることを決めました。
知識や考え方を学べるからと、分野に関わらず多くの学会に出入りするのも出会いを求めてのことです。学生にも「他流試合してきなさい」と勧めます。
出会いは研究の場に限ったものではありません。「お互い何をしているかも知らない者どうしが話をするのも良いものです。研究の日々で世間からずれてしまった感覚を修正してくれます」と息抜きで立ち寄る飲み屋での会話も大事です。
最後に「学生時代には愛車で、7年間に地球7周に迫る27万キロメートルも走りました」と話してくれた北川先生からは、“これだ”と思ったらとことんやり通す人柄がにじみ出ていました。
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 池田亜希子
用語解説
*1 電解質
陽イオンと陰イオンとに電離する物質。液体の場合を特に、電解液という。
*2 イオン伝導性
固体または液体中でイオン化物(イオン状態の原子または分子)が移動する性質。イオン伝導度(S/cm)という値で表され、値が大きいほど高速でイオン化物が移動でき、電池などに適している。
この記事は、京都大学教授(大学院理学研究科化学専攻)で、九州大学の招聘教授(大学院理学研究院化学部門)を兼任している北川宏先生にインタビューして構成しました。