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カルシウムポンプのダイナミックな構造変化を解明

注目のイオンポンプ

 生物の営みには、さまざまなイオンがかかわっています。カルシウムイオンも生体になくてはならないイオンの1つで、筋肉の運動をおこします(図1)。筋原繊維の周りにある筋小胞体には、カルシウムイオンが蓄えられていて、これが放出されると筋肉は収縮します。逆に、筋肉を弛緩させるには、筋小胞体がカルシウムイオンを取り込まなければなりません。この筋小胞体への再取り込みを行っているのが、カルシウムポンプと呼ばれる膜タンパク質です。
 物質を取り込むには、“つかんで放す”という動きが伴います。カルシウムポンプも、カルシウムイオンを取り込む過程で、“つかんで放す”に相当する構造変化をおこします。この構造変化を誰よりも早く解明したのが、東京大学分子細胞生物学研究所の豊島近(ちかし)教授です。20年以上にわたる研究成果として、9つの異なった状態のカルシウムポンプの構造を明らかにしました。
 これまでに解明された構造のいくつかは、2000年、2002年、2004年の英国科学雑誌「Nature」に掲載されました。また、この一連の業績により豊島先生は、学術·芸術などの分野で傑出した業績をあげた個人·団体に贈られる「朝日賞」を2009年度に受賞しました。

図1.筋肉の仕組み

図1.筋肉の仕組み

筋原繊維の周りにある筋小胞体からカルシウムイオンが放出されると、筋肉は収縮する。カルシウムイオンが筋小胞体に取り込まれると、筋肉は弛緩する。この取り込みを行うのが、筋小胞体の膜に埋め込まれたカルシウムポンプ。

偶然手に入れたサンプル

 この研究を始めたきっかけは、若手研究者として英国に留学していた20年ほど前にさかのぼります。当時、電子顕微鏡を使ってチャネルタンパク質*1の立体構造を解析していた豊島先生は、チューブ状結晶の構造を解析できる技術を開発しました。この技術の一般性を試すのにいいタンパク質を探したところ、近くのラボにいた研究者が、カルシウムポンプのチューブ状結晶を作ったのです。こうして、チューブ状結晶を作る手近なタンパク質という理由から、カルシウムポンプの立体構造解析は始まりました。そして研究が進むにつれて、より詳しい立体構造を知りたいと、電子顕微鏡からX線結晶構造解析へと解析法を替えていったのです。

常識にとらわれない結晶化法

 タンパク質の立体構造解析には、解析法に適したサイズと均一さ(並び方の正確さ)をもった結晶を用意しなければなりません。しかし、生体膜に埋まった膜タンパク質であるカルシウムポンプは、膜から出てしまうと構造を保つことができないという理由から、通常の結晶化法で結晶を作ることはできませんでした。また、当時は「膜に入った状態でタンパク質を結晶化するのは無理だ」と考えられていました。
 そんな状況の中で、豊島先生は、膜に入った状態のカルシウムポンプの結晶化に成功したのです。最初に、解析の邪魔になるほかのタンパク質を除くために、生体膜からカルシウムポンプを溶かし出し、精製を行いました。その後、溶液の条件をゆっくり変えることで、タンパク質を結晶化させます。このときに脂質を加えてみたのです。すると、脂質でできた二重の膜に、カルシウムポンプが埋め込まれた状態の結晶ができました。当初は、脂質の二重膜が10層くらい積み重なっただけの、とても薄い結晶でしたが、結晶を作る条件を変えることで、SPring-8の強いX線を使えば何とかデータ収集できる厚みにまで成長させることができたのです(図2)。

図2

図2.

ナイロンループにすくい上げ、急速凍結したカルシウムポンプの板状結晶(左)。結晶の幅は300μm、厚さ20μm程度。カルシウムポンプの板状結晶からのX線回折パターン(右)。ビームラインBL41XUを使用。

尽きることのない興味

 この研究の最初の成果として、2000年に発表したのが、カルシウムイオンが2個結合した状態の構造でした(図3左上)。これは、SPring-8のBL41XUとBL44B2の2つのビームラインを使って解析したもので、ポンプがカルシウムイオンを2つつかんでいます。「SPring-8がなかったら、得られなかった構造です」と話す豊島先生は、この成果をきっかけにカルシウムポンプが、どのように動くかを本格的に追いかけることにしました。
 2002年に発表された2つ目の構造は、カルシウムイオンを送り出した後の状態でした(図3左下)。最初に明らかにした構造と比べてみると、3つのドメイン*2が寄り集まり、4番目のへリックス*3(M4へリックス)が手押しポンプのピストンのように下にさがり、カルシウムイオンを押し出したのがわかります。
 そして2004年には、筋肉を動かすエネルギー物質であるATP*4が結合した状態の立体構造が明らかになり、ATPによってカルシウムイオンが閉じ込められている様子が捉えられました。(図3右上)。この年には、さらに中間状態の立体構造が2つも発表され、研究は大きく進展しました。中間状態とは、カルシウムイオンを運搬する反応サイクルの中で、ごく一瞬しか現れない状態です。そのため結晶化では、どのようにしたら中間状態を安定化させられるかという工夫が必要でした。
 「2つのドメインが110度も回転したり、へリックスが10オングストローム(1オングストロームは100億分の1メートル)もずれたりするとは、誰も思っていませんでした。予想以上にダイナミックな構造変化がおこっているのだから、次が知りたくなります」。この気持ちが、難しい研究に次々に向かう原動力になっているのです。

図3.カルシウムポンプの4つの基本状態の模式図

図3.カルシウムポンプの4つの基本状態の模式図

豊島先生が、長い時間をかけて理解してきた構造変化は次の通り。
左下:カルシウムイオンが無い状態では、細胞質側にある3つのドメイン(A, N, P)は寄り集まっている。
左上:カルシウムイオンが結合すると、M5へリックスがまっすぐになり、細胞質側にある3つのドメインは離れる。
右上:2004年に明らかになった、ATPが結合した状態の構造。カルシウムイオンが閉じ込められている。
右下:M4へリックスが手押しポンプのピストンのように下にさがって、カルシウムイオンを押し出す。この結果、カルシウムイオンが筋小胞体内腔に放出される。

研究が向かう先

 「大事なのは、ただ構造を明らかにするのではなく、そこから何を理解するかです。『自然というのは、物理の人が思うよりずっと複雑なんだ(物理学では、原理を追究するために単純化が行われることが多いので、この言葉が出たと思われます)』と、かつて尊敬する大先輩に言われた言葉を、今実感しています」。こうした思いがあったから、物理学出身の豊島先生は、カルシウムポンプがどう機能しているのかを理解するために系統立てて研究できたのでしょう。
 しかし、独自性に富んだこの研究も、デンマークの研究チームが2004年ごろから同じ研究を始め、激しい競争になっています。イオンポンプを専門に研究する研究所が設けられ、構造だけでなく医薬品への応用にまで発展させようとしています。カルシウムポンプ研究も、心筋梗塞やがんの治療に役立つのではないかと盛んに行われています。一方の豊島先生は、「ここまで研究が進むと、誰にでもできるものではありませんから」と落ち着いていて、カルシウムポンプが動き出すきっかけとなる2つの中間状態の構造を明らかにしようと、着々と準備を進めています。
 また、次のターゲットは、ナトリウム·カリウムポンプと決めて、研究をスタートさせています。すでに成果が出はじめており、豊島先生の目が、このポンプをどう捉えるのかも楽しみです。


用語解説

*1 チャネルタンパク質
物質を通しにくい生体膜の中にあって、特定のイオンだけを運ぶタンパク質の一種。イオンポンプがエネルギーを使って濃度の薄い側から濃い側に汲み上げるのに対して、チャネルは濃い側から薄い側に流すゲートの役割をする。

*2 ドメイン
タンパク質の構造の一部で、ひとかたまりとして運動する領域。

*3 へリックス
タンパク質の構造の一部で、バネのようならせんの形をしている。

*4 ATP
アデノシン三リン酸。アデノシンにリン酸が3分子結合したもので、リン酸分子が切り離されるときにエネルギーを放出する。

コラム:必要なものは自分でつくる

豊島教授
手作りの模型を手に。

 「私がつくったカルシウムポンプとチャネルです」と、研究室から模型をもってきた豊島先生は、ものづくりが大好きです。実験に便利だというものを思いつけば、小道具もつくるし、コンピュータープログラムも書いてしまいます。こうして、実験の効率を上げたり、作業をやりやすくしたりしてきました。SPring-8のビームラインにも豊島先生の要望が生かされている部分があるとか。「新しいことをやるには、自分で作らなければならないものがあるものです」。電子顕微鏡の技術開発をおこなっていたころの、開発者の顔がのぞきます。
 大きな研究成果の裏には、実験への細やかな心配りがあるようです。


カルシウムポンプの構造変化

カルシウムポンプの構造変化

カルシウムポンプの反応サイクルの1ステップ。ATPが結合し、Ca2+を膜内に閉じ込めるときの構造変化。グレーで示す中間の構造は計算による。

取材·文:サイテック·コミュニケーションズ 池田 亜希子


この記事は、東京大学分子細胞生物学研究所の豊島近教授にインタビューをして構成しました。