特定の気体を自在に捕捉・分解する新材料 - 孔に秘められた驚異の可能性 -
多孔性材料って?
私たちの身の回りには、「多孔性材料」と呼ばれる材料が頻繁に利用されています。これは名前の通り、たくさんの微細な孔(あな)があいた材料のことで、代表的なものには、活性炭やゼオライト*1があります(図1)。例えば、活性炭は冷蔵庫や車の消臭剤としてよく使われていますが、これは活性炭の表面にある微細な孔が、においの元となるガス分子を吸着するからです。その他にも多孔性材料は、石油を精製する際の分離材料や、水の浄化用材料などに広く使われています。
ただし、これらの材料の孔の大きさや性質は、それぞれの材料に特有のもので、応用範囲が限られています。もし、この孔を自在にあやつることができたら、その応用性ははかり知れません。例えば、環境中の汚染物質を取り除いて地球環境を改善したり、あるいは大気中から特定の分子を分離して、資源に変えることだってできるかもしれません。
図1
活性炭は、孔の大きさは不均一だが、水の浄化や消臭などに有効。ゼオライトは、孔の大きさが均一で、特定の分子などの"ふるい分け"が可能だが、無機物でできているため、孔のバリエーションは限られる。多孔性配位高分子は、用途や使用法が限定されるこれまでの多孔性材料とはまったく異なった機能が発揮できる。活性炭は約3600年、ゼオライトは約250年も前から使われているが、多孔性配位高分子は研究が始まってまだ14〜5年であり、今後の応用が期待される。
柔らかい有機物で骨格を作る
そんな夢のような話を実現させる道を切り拓いたのが、京都大学の北川進教授です。1992年、東京都立大学の教授になったばかりのころ、北川教授は金属イオンと有機分子が交互につながってできる「配位高分子」の合成に取り組んでいました。あるとき、転機となるできごとが起きました。新たに合成した配位高分子を学会で発表したところ、大阪ガスの研究員から、「つながっている分子の間に、小さな孔があいているんじゃないですか?」と質問されました。「この孔にガス分子を吸着できれば、新たな多孔性材料として使えるはず。ぜひ一緒に研究させてください」と言われ、これをきっかけに今の研究がスタートしました。
「このとき発表した配位高分子は、孔の中に入っている溶媒(合成に使った液体)を抜くと、くしゃっとつぶれてしまうので、このままでは使えません。2年くらい試行錯誤して、溶媒を抜いても壊れないものができたときは面白くて興奮しました」と振り返る北川教授。「でも、最初はなかなか信じてもらえませんでした。有機物は柔らかいので、多孔性材料の骨格には使えないというのが、当時の常識だったのです。1997年に論文を出して、やっと証明することができました」
北川教授が初めて合成に成功したこの物質は、「多孔性配位高分子(図2)」と呼ばれ、今では世界中から年間2000件以上の論文が発表されるほど、競争の激しい研究分野になっています。
図2.多孔性配位高分子の粉末結晶(左)と拡大イメージ(右)。
1μm(1μm:100万分の1m)四方の中に100億個もの孔があいていて、ガス分子(赤い玉)はこの孔に吸い込まれるように入っていく。
多孔性配位高分子がすごいわけ
多孔性配位高分子の優れた点の1つは、簡単に合成できることです。子供のころに遊んだブロックゲームやレゴを思い出してください。1つ1つのブロックをつなぎ合わせて何かを作ろうとすると、相当な時間がかかってしまいます。しかし、多孔性配位高分子は、金属イオンの入った溶液と、有機分子の入った溶液を混ぜるだけで、数分で自動的に秩序立った構造体が組み上がります。しかも熱や圧力などの特別なエネルギーは必要ありません。さらに、有機分子には、金属イオンのこの部分に結合しなさいという情報を与えておくことができるので、さまざまな構造の多孔性配位高分子を設計することができます。
活性炭やゼオライトにはない「柔らかさ」を備えていることも、多孔性配位高分子の大きな特徴です。活性炭やゼオライトは無機物なので硬く、構造が変化しにくいものです。しかし、多孔性配位高分子はダイナミックにその構造全体を変化させます。例えば、特定のガス分子が来ると、これを認識して孔が開くような機能をもったものも見つかっています。「これは、今までにはないまったく新しい機能です。従来材料では、分子のサイズや沸点の違いなどで分子を分離しますが、これで分離できないものは山ほどあります。私たちが作っている材料は、まるで手でものをつかむかのような高い選
択性を備えているので、これまでできなかったさまざまな分離が可能になると思います」
そして、そのような機能を備えた多孔性配位高分子を設計する上で欠かせないのが、SPring-8のビームラインです。1μmという小さな結晶の動的な構造変化を見るには、強い放射光と同時計測できる観測システムが必要です。「普通のX線回析装置ではぼやけてしまいますが、SPring-8のビームラインでは、ストロボ写真のように時々刻々と変化する様子をクリアに見ることがで
きます」と北川教授。「どんな構造のときにどんな分子を吸着するかといった予測は、実はまだ十分にはできません。そのため新しい材料を設計するには、SPring-8の構造解析で得られる情報が不可欠なのです」
光で吸着をコントロール
2010年7月、北川教授たちは、ガス分子の吸着を光でコントロールできる多孔性配位高分子を開発しました。この多孔性配位高分子は、紫外光を当てていない状態では、さまざまなガス分子が孔を自由に出入りしますが、紫外光を当てると、酸素と一酸化炭素のみが選択的に吸着・分解されるようになります。このような機能をもった多孔性材料は、これまでに前例がありません。いったいどのような仕組みが隠されているのでしょう。
鍵となるのは「ナイトレン」という物質です。ナイトレンとは、8電子則*2を満たしていない窒素原子のことで、酸素や一酸化炭素から電子を奪って安定な状態になろうとします。ナイトレンを多孔性配位高分子の孔に組み込むことができれば、酸素や一酸化炭素のみを選択的に吸着することができるようになります。しかし、ナイトレンのような反応性の高い物質を多孔性配位高分子に組み込むことは容易ではありません。
そこで、北川教授たちは、ナイトレンを窒素分子で“ふた”をして、ナイトレンの反応性を封じ込めた「アジド(−N3)」という分子を合成し、これを使って多孔性配位高分子を作りました(図3)。ふたの役割をする窒素分子は、紫外光を当てれば簡単に外すことができます。つまり、紫外光を照射することにより、好きなタイミングでふたを外して、酸素や一酸化炭素を吸着し、一酸化炭素を安全な物質に分解させることができるわけです。また、ナイトレンは高活性で不安定なため観察が難しいとされていましたが、SPring-8のX線を用いることによって、紫外光が照射された多孔性配位高分子の孔の表面に、ナイトレンが整然と並んでいる様子を直接観察することにも成功しました。
「この多孔性配位高分子は、有毒である一酸化炭素の除去などに応用できると考えられます。また、ナイトレン以外のさまざまな化学種にも適用できるので、波及効果は大きいと思います」と北川教授。「エネルギー問題に対応するため、これからは特別な資源を原料とせず、身の回りに存在するものを活用することが求められます。そこで私たちが目指すのは、多孔性配位高分子を使って、空気中から特定の分子を分離、貯蔵、変換して、資源を作り出す“気体の錬金術”です。この実現に向けて、今はまだスタート地点に立った段階なので、これをどうイノベーションにつなげていくか、それが今後の課題です」。エネルギー問題と資源問題の両方に貢献する北川教授たちの研究に、これからますます期待がかかります。
図3
アジドを使って合成した多孔性配位高分子に紫外光を当てると、窒素分子が外れてナイトレンが現れ、酸素や一酸化炭素の選択的な吸着・分解が始まる。
コラム:データ解析の待ち時間に···
1989年、北川教授が多孔性配位高分子の研究を始める前のことです。この頃は、SPring-8のような巨大なビームラインも、データを解析するコンピュータのプログラムもなく、X線構造解析をするのは大変なことでした。「京都大学の大型計算機センターに行って、作った配位高分子のX線回折データを計算機に読み込ませるのですが、計算に時間がかかるので、結果が出るまで2、3時間くらい待たなくてはなりませんでした」と北川教授。「その間やることがないので、学生と他愛ない話をしていると、1人の学生が途中の経過を見て“蜂の巣構造の中に孔があいてますよ”と言ったのです。そのときは、この孔を使おうとはまったく考えませんでしたが、思えばこれが配位高分子の孔に気付いた最初の出来事だったわけです」。待ち時間の会話の中での小さな気づきが、のちに世界中が注目する大きな研究テーマになるとは、感慨深い話です。
表紙の図 |
用語解説
*1 ゼオライト
結晶中にたくさんの孔をもつアルミノケイ酸塩という物質の総称です。天然のゼオライトは、約700万年もの年月をかけて作られる鉱物ですが、人工的に作ることもでき、脱臭、イオン交換、触媒、吸着などさまざまな用途で使われています。
*2 8電子則(オクテット則)
原子が化学結合をしたとき最外殻の電子が8個になると安定しやすいという経験則。ナイトレンは最外殻に6個の電子しかないため、他の原子や分子から電子を奪おうとします。そのため、化学的な反応性に富み、酸素や一酸化炭素と反応して、違う分子に変換します。
取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 秦 千里
この記事は、京都大学 物質−細胞統合システム拠点 副拠点長 北川進教授にインタビューして構成しました。