大型放射光施設 SPring-8

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文化財の樹種を識別する ~真の史実を解くカギに~

木材にも個性がある

 床、机、鉛筆、紙など、私たちの身のまわりには、木材でできたものがたくさんあります。「これらは何の木だろう?」そう思ったことはありませんか?道端に生えている植物は、花や実、葉の特徴から何の植物か見当がつくことは多いですが、木材となると見た目から判断するのは難しそうですよね。
 「木材にもちゃんと特徴があるんですよ。色や肌触り、匂いなどで判断できる場合もありますが、それが難しい場合はルーペで見たり、あるいは切片をつくって光学顕微鏡で観察することで、何の木かを見分けることができます」と話すのは、京都大学生存圏研究所教授の杉山淳司さん。木材として使われるのは主に心材の部分で、柾目(まさめ)面、木口(こぐち)面、板目(いため)面の3つの断面を観察すれば、レベル*1まで特定できるそうです(図1)。
 同研究所付属の材鑑調査室は、木材の鑑定や木材標本の管理をおこなっている全国で有数の施設です。指定文化財に使われている古材の収集や鑑定もおこなっており、現在、約1万8000点以上の木材標本を管理しています。法隆寺や清水寺、二条城といった歴史的建造物由来の古材も集められています。
 ただし、貴重な文化財の場合は、故意に木片を切り取ることは、もちろんできません。「展示会や改修工事などで動かした際に、小さな破片が偶然はがれたりすることがあるので、それを分析に使います。経年によって劣化が進んでいるので、非常にもろく、切片をつくって顕微鏡で観察するには限界があります。しかも、その文化財からは2度とサンプルが手に入らない可能性もあるので、他の研究者も使えるようになるべくそのままの形で残しておきたいのです」。そこで、杉山さんが注目したのがSPring-8の放射光を用いた観察法です。いったいどのような方法なのでしょうか。これまで解析した文化財の例をもとに教えてもらいましょう。

図1.幹の構造。
図1.幹の構造。

外側から樹皮、形成層、辺材、心材の順に構成される。樹種を識別する際は、木の繊維方向に直角に切断した木口面、繊維方向に平行に切断した面で中心軸を含む柾目面、中心軸を含まない板目面の3方向の切片を観察する。

仏像は何の木?

 奈良県にある興福寺所蔵の世親立像(せしんりつぞう)は、日本肖像彫刻史における最高傑作として知られています。修理の際に足元の台座からはがれ落ちた木片(表紙白枠内の左)をもとに、杉山さんはその樹種を調べることにしました。杉山さんが解析に用いたのは、SPring-8の医学・イメージングIIビームライン(BL20XU)のX線マイクロCTという装置です。「原理は、人間ドックの検査などに使われるCTと同じです。寝台に寝転がり、ドーナツ型の機械の中を通過すると、身体の輪切り画像が得られますよね。これは360度方向からX線を照射し、体内を透過したX線量のデータをコンピュータで処理することで身体の断面画像を再構築しています。一般の医療用CTは0.1mm〜1mm程度の分解能ですが、SPring-8のX線は非常に強く、平行に発することができるので、0.5マイクロメートル(1マイクロメートル=1000分の1mm)という高い分解能をもち、小さな木片でも樹種を判別できるくらいの細かな構造を観察することができます」。
 今回の実験では、サンプル台に木片を固定し、サンプル台ごと0.1度ずつ回転させながらX線照射をおこない、得られた透過像のデータを演算処理して、1300枚の木口面の断層像を再生しました(表紙白枠内の右)。さらに、樹種を判別しやすいように3D像に構築したのが図2です。これからいったい何がわかるのでしょう。
 「図2bに写っているのは道管の境目です。小学校で習うように、道管というのは土壌から枝や葉へと水を送る役割をしています。もっと詳しく見ると、道管は筒状の形をした1つの死細胞で、これが垂直方向につながって水の通路をつくっています。本来、細胞は閉じた袋なので、水を通すには道管と道管の境目に孔をあける必要があり、この孔の形状が樹種の判別のポイントになるのです」と杉山さん。例えば、大きな孔(こう)が1つだけあいた単せん孔、階段状に孔があいた階段せん孔、複数の小さな孔があいた多孔せん孔など、植物によっていくつかのタイプがあるそうです(図2の右)。「図2bの中央に13本程度の棒が並んでいますよね。これは階段せん孔であることを示しています。さらに、他の断面図から得られた特徴も含めて、この木はカツラ属であることが判明しました」。
 従来のように切片をつくっていたら、木片は粉々になっているところですが、もちろんこの木片は今も元の状態で保管されています。「識別に有効な断面を定めて、ちょうどいい厚さで切片をつくるには、経験と熟練を要します。道管のせん孔が観察できるように切片を切り取るのも、実際はすごく難しいんですよ。でも、X線マイクロCTを使 えば、サンプルを傷つけることなく、必要な断面をいくらでも再生することができます。つまり、“無限に切片をつくることのできるバーチャルな木材組織”を作製できるのです」。

図2.道管のせん孔が鮮明に観察できるように構築した3D像(a)とその拡大図(b)
図2.道管のせん孔が鮮明に観察できるように構築した3D像(a)とその拡大図(b)

道管のせん孔には単せん孔、階段せん孔、多孔せん孔がある。興福寺の世親立像は、目視による識別ではカツラかホウノキだろうと見られていたが、カツラは階段せん孔、ホウノキは単せん孔であり、今回の解析からカツラであることが科学的に証明された。

韓国の仮面が日本に!?

 木材の識別が、国際関係に影響を与えた例もあります。16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、農民が朝鮮から持ち帰ったとされる木製の古い仮面が、2007年1月、熊本県八代市で発見されました(写真1)。このニュースを受け、韓国では、この仮面が韓国で国宝に指定されている河回(ハフェ)面のうち、消失して現在は伝わっていないビョルチェ面ではないかと物議を醸し、新聞の1面に報道されるなど大きな注目が集まりました。
 「仮面は劣化が激しく、触れるとぽろっと破片が落ちるくらい脆い状態でした。顎の破損部から落ちた破片のサンプルは、内部がスポンジ状なので、とても切片をつくることはできません。そこで、SPring-8のX線マイクロCTを使うことにしたのです。木質文化財は、今回のように激しく劣化している場合が多いのですが、X線マイクロCTでは、虫食いなどによる孔以外の部分を選択的に観察できるので打ってつけです」と杉山さんは言います。
 分析結果から、道管は単せん孔であることがわかり、その他の細胞の特徴や構造をもとに、この木はヤナギ属であることが判明しました(図3)。「河回面は伝統的にハンノキが使われるので、この仮面は河回面ではありません。韓国の国宝級のものではないとわかったのでホッとしましたが、これが韓国の仮面だとすれば、現存する河回面より古い年代の可能性があり、大変貴重なものです」。

写真1
写真1

熊本県八代市の個人宅で、仏壇の下から木製の古面が発見された。古面から剥離した1×1×7mmの破片を分析に使った。(写真提供:八代市立博物館)

図3.SPring-8のX線マイクロCTを使って得られた八代古面のサンプルの断面像
図3.SPring-8のX線マイクロCTを使って得られた八代古面のサンプルの断面像

a:木口面、b:板目面、c:柾目面。道管は単せん孔、放射組織*2が単列で異性型であることがわかった。

今後は大きなサンプルも

 このように木材の識別は歴史学や考古学に重要な知見をもたらし得るので、杉山さんの研究室には、鑑定の依頼を受けている文化財の木材サンプルがまだまだたくさんあります。
 「今後は、さらに多様な木質文化財についての情報も記録していきたいと思っています。例えば、年輪のパターンのデータを集めれば、年代の特定に役立ちます。X線マイクロCTに関して言えば、分解能は満足していますので、今後は現状よりも大きなサンプルを非破壊で見る方法はないか検討しているところです」。

表紙図
表紙図

世親立像の木片サンプルは、長さ4mm、幅0.2mmという小ささで、しかも接合部から取れた木片のため、かなり押 しつぶされて変形していた(左の写真)。SPring-8のX線マイクロCTを用いて1800枚の透過像を撮影し、フィルター逆投影法という演算処理により1300枚の断層像を再構築した(右)。

コラム:見えるものには理屈がある

杉山教授
古面の表面を観察している
杉山教授

 学生のころから“見ること”を研究手段にしていた杉山さん。修士課程のころは、電子顕微鏡を使って植物の細胞壁の主成分であるセルロースの可視化に取り組んでいたそうです。「非常に難しいテーマでした。分子を見るには倍率を上げる必要がありますが、そうすると電子線でセルロースが焼かれてしまいます。当時、指導してもらっていた先生には、当時の技術でセルロースを見るのは理論的には不可能だと言われました」。ところが杉山さんが実験を継続して電子顕微鏡で撮影したところ、セルロースが写ってしまったのです。セルロースの分子を見たのは世界でも初めてです。
 「先生も驚くだろうと思って電話をしたら、“見えた結晶格子間の距離はいくらですか?”と問われて答えられず、“さすが冷静、科学者なり”と感銘を受けました。理屈がないと信じてもらえない科学の厳しさを知る半面、見えるものには理屈があることを教わりました。また、自分で新しいものや理屈が作れる面白さを知って、研究者になろうと思ったきっかけでもありました」。

 

用語解説

*1 
分類学において、“科”の下、“種”の上に位置する階級。例えば、山桜はバラ科サクラ属ヤマザクラ。

*2 放射組織
植物の維管束内を放射方向に走る細胞群のこと。細胞の並びが1列(単列)のものと複数列(多列)のものがあり、また、細胞の形がすべて同じ場合を同性、異なる場合を異性という。

取材・文:サイテック・コミュニケーションズ 秦 千里


この記事は、京都大学生存圏研究所の杉山淳司教授にインタビューして構成しました。