世界初! 分子の自己組織化でつくる巨大で精密な人工カプセル
研究成果 · トピックス
世界初! 分子の自己組織化でつくる巨大で精密な人工カプセル
自己組織化を使って分子の集合体をつくる
私たちの体の中では、生命現象で重要なはたらきを持つタンパク質や核酸などの生体分子が自発的に集まって、機能や構造をもつ“生体組織”となります。これは無秩序な状態から組織立てて秩序を生む現象で、「自己組織化」と呼ばれます。自己組織化は、雪の結晶の成長や、脳内での神経経路の形成など、自然界のいたるところで見られます。
このように、自己組織化は、自然界では頻繁に見られる現象ですが、今から30年ぐらい前までは、自己組織化を利用して人工的にものづくりを行うという発想は化学の世界ではほぼ皆無でした。化学におけるものづくりとは、化学反応によって一つ一つ強固な結合をつくりながら進める事が大前提であり、常識だったからです。ところが東京大学大学院工学系研究科教授の藤田誠さんは、そんな化学の常識を覆し、有機分子と金属イオンを混ぜると今までにない構造の分子の集合体を自己組織化によってつくれることを1990年に発見し、世界に発表しました。以来、自己組織化を使って分子の集合体をつくる研究を続けています。
精密な立体構造
「私はもともと有機合成が専門ですが、前職で無機材料の部署の手伝いをしたことがあります。無機合成は手法や考え方が有機合成と異なり新鮮でした。このときの経験が自己組織化による人工カプセルをつくるヒントになっています」と藤田誠さんは話します。
藤田誠さんが着目したのは、有機分子(配位子)が金属イオンと弱い力で結合する性質をもち、それらがひきつけあうと、規則性の高い安定な構造に落ち着くという現象でした。そのため、配位子のパーツと金属イオンを混ぜると、お互いにひきつけあい、分子の集合体(錯体)が自発的に組みあがるのです。初めにつくったのは正方形の構造(図1)でしたが、やがて八面体の立体構造(図2)をつくることができるようになりました。この分子の集合体は分子が結合する数や角度が厳密に規定された精密な構造をしていました。
さらに、かご状になっていて、中の空間に小さな分子を閉じ込めることができます。このような外部から切り離された微小な空間では、外部では起こらない化学反応が生じることが考えられました。実際に、空間の中では生体内の酵素反応に匹敵するような精密な化学反応が起こり、これまで合成できなかった物質を高い効率で選択的につくることができました。
タンパク質を閉じ込めた巨大カプセル
分子集合体の中の空間をもっと広げ、大きな分子を閉じ込めることができれば、タンパク質のような生体分子の反応を見ることができるのではないか? 藤田誠さんは、骨組みのパーツとなる配位子を直線のものから折れ曲がったものにすることを思いつきました。そして、折れ曲がった配位子を使って金属イオンと混ぜたところ、分子の集合体は直径3 nm(ナノメートル)*1ほどの球状のカプセル構造になりました。さらに、配位子の折れ曲がる角度を変えると中の空間を広げられることがわかり、多くのカプセルを自在に設計したり、合成したりできるようになりました(図3)。しかしタンパク質の大きさは、小さくとも4〜5 nmの直径があり、直径が1 nmにも満たない他の分子に比べると格段に大きいのです。巨大タンパク質をカプセル内に閉じ込めるためには、さらに工夫が必要でした。そこで、藤田誠さんは、あらかじめ配位子の一つにタンパク質を結合させておき、他の配位子には糖鎖*2を結合させておくことにしました。糖鎖はタンパク質表面と同じ親水性の物質なので、タンパク質表面と相互作用し、タンパク質が糖鎖に包まれた状態でカプセルがつくられると考えたためです。
カプセル内に閉じ込めるタンパク質として「ユビキチン」*3を選びました。ユビキチンは直径約4 nmで球状をしています。実際に、溶媒中でユビキチンや糖鎖を結合させた配位子と金属イオンを混ぜると、ユビキチンの周辺を取り囲むようにほかの配位子が自己集合し、ユビキチンが閉じ込められた人工カプセルの構造ができたのです。糖鎖は内部のタンパク質を安定化させるはたらきをしているようでした。
こうして自己組織化によって、従来のものより圧倒的にサイズの大きなカプセルがつくれるようになったばかりでなく、その中にタンパク質の分子を閉じ込めることに世界で初めて成功しました(図4)。
図はhttp://fujitalab.t.u-tokyo.ac.jp/static/files/figure.pngより
配位子にタンパク質や糖鎖を結合させてから金属イオンと混ぜる。
図はプレスリリース:人工カプセルでたんぱく質の生け捕りに成功(2012年10月3日)より
温泉卵のような結晶
自己組織化によってつくられた人工カプセルが設計通りの構造になっているかを調べるには、核磁気共鳴法(NMR)*4や質量分析法*5、X線回折法などの方法で解析します。とくに、X線による単結晶構造解析は、小分子からタンパク質まで分子構造の正確な情報を与えてくれるので、藤田誠さんの研究には欠かせない手法です。しかし単結晶構造解析を行うには、分子が規則正しく並んだ結晶をつくる必要があります。しかも人工カプセルは、無機化合物と有機化合物の両方の特徴を持っているので、解析方法は確立されていませんでした。「構造解析はいちばん苦労しました」と藤田誠さんは振り返ります。タンパク質の構造解析の専門家や無機物の構造解析の専門家どちらにも教わりながら、ノウハウを蓄積し、解析方法を見つけだしました。初めは有機分子が10個ほどの小さい分子集合体を解析していましたが、有機分子の数が増え、大きなカプセル構造になると研究室の装置では分析できなくなり、SPring-8を使うようになりました。巨大カプセルはほとんどが空間で、溶媒を80〜90%も含んでいます。結晶は微細な骨格構造しかないため、研究室の装置で用いるX線による回折像はとても弱く、十分な解析ができませんでした。しかし、SPring-8のような強い放射光X線を使うと、解析が可能になるのです。「X線回折実験のための単結晶をつくるのも苦労しましたが、できた結晶の取り扱いもとても難しいです。有機溶媒で満たされた巨大カプセルの結晶は、まるで薄い膜でおおわれた温泉卵のように繊細です。そのため、結晶をSPring-8まで運ぶのにもとても気を使います」と助教の藤田大士さんが分析の苦労を明かしてくれました。人工カプセルの中にタンパク質を丸ごと閉じ込めている様子は、SPring-8の構造生物学ビームライン(BL41XUとBL38B1)を使った構造解析により明らかになりました(図5)。「巨大カプセルで はNMRや質量分析による解析によってあまり明確なデータを得ることができないので、構造解析は放射光X線が頼りです。カプセルの中にタンパク質をいれた構造を解析できたのも、SPring-8の高性能な放射光があったおかげです」と藤田誠さんも続けます。
自己組織化でつくった直径約7 nmの人工カプセル(紫)の内部にユビキチンというタンパク質(赤)を閉じ込めた。
図はプレスリリース:人工カプセルでたんぱく質の生け捕りに成功(2012年10月3日)より
空間の化学へ
「三次元のカプセルの中は、外部とまったく環境が違いますから、そこに分子をおくと、これまで知られていない現象が見えてくるでしょう。カプセル内の空間を活用できるようになると“空間の化学”という新たな学問が生まれるかもしれません」と藤田誠さんは人工カプセルの研究をさらに進めています。今では世界最多の90成分からなる巨大なカプセルをつくることができるようになりました。理論上では、180成分からなるカプセルが限界です。今はその限界の大きさのカプセルをつくることが目標です。
藤田誠さんの研究は、巨大カプセルにとどまらず、かご状の分子の集合体が繰り返された構造をもつ「結晶スポンジ(図6)」にも発展しています。結晶スポンジの中の空間に分子を閉じ込めると、内部が安定なため結晶をつくらなくてもX線構造解析ができることが明らかになり、とても注目されています。
25年前に自己組織化を使って分子の集合体をつくって以来、研究が発展している様子は、植えた木の幹がだんだん太くなり、枝が伸びていくかのようです。「この研究の成果が応用され、世の中で使われるようになると、立派な1本の木になります。そこまで育てて、さらに後世まで残るような研究にしたいです」と藤田誠さんは締めくくりました。
結晶スポンジは、直径約0.5〜1 nmほどの穴が無数に空いた結晶材料。
図はhttp://www.t.u-tokyo.ac.jp/epage/release/figure.jpg より
コラム:研究室の宝物
研究室の藤田誠さんの机のそばには、自己組織化でつくった人工カプセルの模型が二つ飾ってあります。「これは三次元プリンターで分子構造からつくってもらったものです」と見せてくれました。原子が黄色や緑色で色分けしてあり、カプセルの骨組みや中の空間の様子が一目でわかります。藤田誠さんは、この模型を見ながら研究のアイデアを練っているようです。
「実はこの模型は2代目です」と藤田大士さんが教えてくれました。2011年の大震災時には東京でも大きな地震があり、模型は落ちて壊れてしまいました。「その壊れた部分が、構造解析で分子間の力が弱いとされた場所そのものでした。あまりに見事な壊れ方だったので写真に撮ってあります」。つくり直された模型は研究室の宝物のように大事にされています。
《用語説明》
*1 ナノメートル
1 nmは1 mmの100万分の1。物質をつくっている分子や原子1個くらいの大きさ。
*2 糖鎖
各種の糖が結合してつながったもの。分子内に多数の水酸基を持つために、親水性が高く、人工カプセルに閉じ込めるタンパク質の表面との親和性が高いことが期待されます。
*3 ユビキチン
76個のアミノ酸からなるタンパク質で、さまざまな生体現象に関わることが知られています。
*4 核磁気共鳴法(NMR)
核磁気共鳴という物理現象によって行う構造解析法。有機化合物の構造決定などに広く利用されています。
*5 質量分析法
質量分析装置を用い、試料をイオン源でイオン化し、電界や磁界のはたらきによって質量スペクトル(質量/電荷数)を得て、化合物を分析する方法です。
文:サイテック・コミュニケーションズ 佐藤 成美
この記事は、東京大学大学院工学系研究科の藤田誠教授と藤田大士助教にインタビューして構成しました。