温めると縮む“負の熱膨張材料”をつくる
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温めると縮む“負の熱膨張材料”をつくる
物質は温めると膨張する
自然界に存在する物質のほとんどは、「温度が上がると体積が増える」という性質をもっています。パンも焼くときに中の炭酸ガスが膨張(体積が増加)して膨らみますし、金属の身近な例だと、台所のシンクにお湯を捨てたときに“ボコッ”と音がしますよね? あれはステンレスやアルミニウムがシンクの材質となっている場合、お湯の当たった部分が瞬時に温められて膨張し、反り上がることにより音がするのです。
金属や樹脂、セラミックス、ガラス・・・こうした身の回りにあるあらゆる材料は、私たちの目には動きがないものに見えますが、ミクロのレベルで材料の中を見てみると、物質を構成する原子や分子はつねに動いて振動しています。温度が上がると原子や分子の振動の幅が大きくなり、これによって物質全体の体積が増えるのです。このような現象を「熱膨張」と呼びます。例えば、長さ10センチメートルの鉄の棒の場合、温度が1℃上がると1.2マイクロメートル(1マイクロメートルは100万分の1メートル)伸びます。髪の毛の直径がだいたい80マイクロメートルですから、人の目ではほとんど分からない変化です。「そんな小さな変化で何か問題になるの?」と思うかもしれませんが、半導体デバイスの製造などでは、マイクロより小さな単位であるナノ(1ナノメートルは10億分の1メートル)レベルの精密さが求められ、数マイクロメートルという変化でも製品としては致命的になります。現在、精密部品の製造現場では、熱膨張の影響を防ぐために、厳密な空調管理のもとに製造が行われています。もし温度変化に対して体積が左右されない“ゼロ熱膨張材料”が登場すれば、そうした管理は必要なくなり、また製品の設計条件が簡単になるなど、精密部品の製造に革命がおこるかもしれません。こうしたことから、ナノテクノロジー産業を中心に、“ゼロ熱膨張材料”の実現への期待が寄せられているのです。
負の熱膨張物質をみつける
では、いったいどのようにして“ゼロ熱膨張材料”をつくるのでしょうか? 20年ほど前から、温めると縮む、つまり“負の熱膨張”を示す物質が発見されています。この“負の熱膨張物質”を基盤となる材料に混ぜ合わせれば、材料の“プラスの熱膨張”が、添加した物質の“負の熱膨張”で打ち消され“ゼロ熱膨張”が可能になるはずです。
実は、こうした発想のもとで“結晶化ガラス”という材料が、すでに商品化されています。これは、“負の熱膨張”を示すβ-ユークリプタイト(LiAlSiO4)と呼ばれる物質をガラス中に析出させたもので、身近なものではIHクッキングヒーターのトップパネルや電子レンジのターンテーブルなどに使われています。ただし、β-ユークリプタイトの“負の熱膨張”の度合いはそれほど大きくありません。熱膨張の度合いは、専門的には「線熱膨張係数*1」という数値で表わされ、物質によって線熱膨張係数は異なります。ガラスにくらべて、金属や樹脂は線熱膨張係数が大きく、鉄はガラス(ホウケイ酸塩ガラスの場合)の約4倍、樹脂はガラスの約20 〜 30倍という大きな線熱膨張係数をもちます。金属や樹脂の熱膨張を打ち消すには、これまでにない非常に大きな“負の熱膨張”をもつ物質が必要なのです。
温めると縮むのはなぜ?
2015年3月、東京工業大学応用セラミックス研究所教授の東正樹さんは、既存材料の約6倍もの“負の熱膨張”を示すBiNi1-x FexO3(BNFO:ビスマスニッケル鉄酸化物)という物質をみつけました。なぜBNFOは温めると縮むのでしょうか?それを教えてくれるのがSPring-8の放射光です。東さんは、粉末試料のX線回折が可能なビームラインBL02B2を使い、BNFOを構成する原子の並び方や原子間の距離を調べて、その結晶構造を明らかにしました。BNFOは「ペロブスカイト」という構造をしています(図1)。これはニッケルを中心に酸素が八面体をつくり、さらにそのまわりをビスマスが立方体を形成するように配置しています。これを基本骨格として、八面体が頂点を共有して三次元的に無数に連なって存在しています(図2)。
「X線回折実験によって原子間の距離がわかると、原子の価数*2を推測することができます。その結果BNFOは、低温でビスマスは3価と5価が半々という状態をとっていますが、温度が上がると、ニッケルの電子1つが5価のビスマスに移り、ニッケルの価数が2価から3価になることがわかりました。電子を失うことを『酸化』といい、これは高校化学で習いますよね。つまり、ニッケルは電子を失うことで酸素をより強く引きつけるようになり、酸素とニッケルの距離が縮まったのです。これによって、全体として3%の体積収縮がおこることもわかりました」と東さんは説明します。原子間で電子が移動して八面体がギュッと縮まることで体積が小さくなるわけですね。“温めると縮まる”という現象の裏に、こんな巧妙なメカニズムが隠れていたとは驚きです。
「私たちのやっている研究は、SPring-8でしかできないことばかりです。特に、ビスマスは重たい元素なので、このような元素を含んでいる化合物の結晶構造を調べるには、普通のX線の装置では難しく、SPring-8の非常に強く高いエネルギーのX線が必要です。また、測定時間が短いのもありがたいですね。一度にたくさんの試料を持ち込んで一気に測定することができるので、効率よく研究を進めることができます。圧力下での振る舞いを研究したり、分光でイオンの価数を直接調べるのにもSPring-8を利用しています」。
低温(左)のときは、3価(Bi3+)のビスマスと5価(Bi5+)のビスマスが半々で存在するが、高温(右)では、ニッケルの電子が1つ5価のビスマスに移り、ニッケルは2価(Ni2+)から3価(Ni3+)になり、酸素をより強く引き付けるようになるため、ニッケル−酸素間の距離が縮まる。
ゼロ熱膨張が実現!
実は、東さんたちは最初にBi1-x Lax NiO3(ビスマスランタンニッケル酸化物)という“負の熱膨張材料”を2011年にみつけており、これをもとに改良を重ねてきました。これまでの“負の熱膨張材料”は、加熱時の収縮と、冷却時の膨張がおこる温度が異なる「温度履歴」という問題がありましたが、今回のBNFOは、ニッケルの一部を鉄に置換したことで、この温度履歴を抑制することが可能となりました。また、置換する鉄の割合を変化させることで、“負の熱膨張”がおこる温度域をコントロールできることもわかりました。
「エポキシ樹脂にBNFOを体積で18%分散させた複合材料をつくったところ、27℃から57℃という温度範囲で“ゼロ熱膨張”を実現することに成功しました(図3)。18%という少ない添加量でいいので、エポキシ樹脂の特性を損なうこともありません」と東さんは言います。BNFOを用いた“ゼロ熱膨張材料”には、すでにさまざまな企業が興味を示しているそうです。「ただ、BNFOを合成するには、6万気圧という人工ダイヤモンドをつくるくらいの圧力が必要になり、製造コストが高くなります。いま、原料を工夫することで、もっと低い圧力で合成できる方法を探しているところです。また、BNFOよりもっと広い温度範囲で、大きな体積収縮を示す物質もみつかりつつあります」と自信を見せる東さん。近いうちに熱膨張をコントロールできる材料が一般的になるかもしれませんね。
右は、エポキシ樹脂(黒)とBNFO(青)、これらの複合材料(赤)の温度変化による長さの変化を表わしたグラフ。300 〜 330K(27〜 57℃)の範囲でゼロ熱膨張が実現していることがわかる。
コラム:阪神タイガースへの熱い思いが出発点
“負の熱膨張材料”の分野を牽引している東さんですが、その経緯を遡ると意外なところに行きつきました。「僕が高3のとき、昭和61年はタイガースが日本一をとった年でした。本当はロボットの研究をするために東京工業大学に行こうと思っていたのですが、タイガースが日本一になるのを見て、甲子園の雰囲気を身近に味わいたいと思い、京都大学の理学部に志望を変えました。でも、京都大学に入ったらあっという間にタイガースは暗黒時代に入ってしまって、あまりいい思い出はありません」と残念そうに振り返る東さん。
もし阪神ファンではなかったら全く違う分野に進んでいたのかもしれませんね。
研究に使う高圧合成装置を前に、東さん。
《用語説明》
*1 線熱膨張係数
温度を1℃上げたときに長さが変化する割合。例えば、鉄の線熱膨張係数は12×10-6/℃なので、10センチメートルの鉄の棒は1℃上がると、10×12×10-6=0.00012センチメートル=1.2マイクロメートル伸びる。
*2 価数
その原子が作れる結合の数を示しており、イオンの場合は、プラスの電荷を持つ原子と、マイナスの電荷を持つ原子がペアとなり1つの結合を作る。多くの金属原子は、電子の出入りによって複数の価数をとることができる。
文:サイテック・コミュニケーションズ 秦 千里
この記事は、東京工業大学 応用セラミックス研究所/大学院 総合理工学研究科 物質科学創造専攻 東正樹教授にインタビューして構成しました。