SPring-8 高輝度放射光を用いて超微量物質の検出限界の世界記録を更新-1兆分の1濃度の少量液滴、千兆分の1グラム金属が射程に-(プレスリリース)
- 公開日
- 2000年07月04日
- BL40XU(高フラックス)
平成12年7月4日
科学技術庁金属材料技術研究所(現 独立行政法人物質・材料研究機構)
(財)高輝度光科学研究センター
科学技術庁金属材料技術研究所(所長岡田雅年)の研究グループ(精密励起場ステーション桜井健次)は、SPring-8※1(理事長 伊原義徳)の高輝度放射光を用い、元素の種類と量を決定する有力な分析法である蛍光X線分析法※2による超微量物質の検出能力を飛躍的に向上させる技術を開発し、これまでに欧米の研究者らによって最も良い検出限界※3が報告されているニッケルについて、13フェムトグラム(fg)※4(1フェムトグラム=1fg とは千兆分の1グラム)の記録を、4フェムトグラムに更新することに成功した。検出が容易でないことから報告例の少ない鉄やコバルト等の元素についても初めてフェムトグラムオーダーの検出限界を実現した。 |
1.研究背景
超微量物質は、きわめて微量でも各種工業材料に使用されるものや環境問題になるものがあり、あるいは生体系の中で重要な役割を果たす物質が数多く知られている。その濃度レベルは多くの場合、ppm※7(1万分の1%)からppb※7(千万分の1%)である(参考図1)。専門家の間では、そのような超微量物質を検出し、化学種を識別するための技術開発が熱心に行われてきている。濃度がきわめて希薄な超微量成分の分析だけでなく、測定に用いることのできる試料の総量が少なく限られている場合への対応も重要である。
試料総量も、そこに含まれる物質の濃度もともに少なくなると、当然のことながら、検出は技術的にはたいへん困難になるが、もし、これを可能とすることができれば、物質・材料系科学技術をはじめ、多くの科学分野において飛躍的な進歩が期待される。このような観点から、本研究では、少量の液滴(1万分の1ミリリットル、直径約0.5mm )中に超微量成分として含まれる金属の検出と化学種の識別を可能とする新技術の開発に取り組み、検出レベルとしては、上述のppbよりも更に希薄なレベルであるppt※8(百億分の1%)を目標としてきた。これは超微量物質の絶対量に換算すると、フェムトグラムオーダー、原子数で107個オーダーに相当する。
2.今回の研究成果
(1)従来の技術の到達点
蛍光X線分析法は、元素の検出・識別に有用であるが、少ない試料を保持する基板部分からの散乱X線に起因するバックグラウンドが測定の妨害になるため、超微量物質を対象とするためには、全反射蛍光X線分析法※9(参考図2)が有望である。X線は物質に対する侵入・透過能力が高いことで知られているが、平坦かつ平滑な基板表面に対して平行に近い浅い角度で入射させると光学的な全反射が生じる。このとき、基板への侵入がほとんど生じないため、基板からの散乱X線を著しく減少させ、バックグラウンドを下げることができる。しかしながら、これまでのこの方法の研究では、通常の実験室系のX線発生装置が使用されていたため、検出限界は1 ~10ピコグラム(1兆分の1グラム)レベルにとどまり、少量液滴中の超微量物質の検出に応用するには限界があった。そこで、諸外国では、シンクロトロン放射光を用いることにより検出限界を更に下げる努力が行われている。高輝度な光源を利用すると、微弱な蛍光X線信号強度を観測可能なレベルにまで大きくすることができるという利点があるが、バックグラウンドも同じように強くなるため、単に良い光源を用いるだけでは、超微量物質を検出することは容易ではない。これまでのところ、この方法の検出限界は、放射光※10を用いたとしても、どうにか10フェムトグラムに到達するかどうかというレベルにとどまり、これ以上の新しい進歩がなかなか達成されない状況にあった(参考図3)。
(2)今回導入された新しい技術のポイント
本研究では、SPring-8の共用ビームラインBL40XU(高フラックスビームライン)において、きわめて高輝度の準単色アンジュレータ放射光※11(エネルギー約10keV)を利用し、科学技術庁 金属材料技術研究所において開発されたX線分光器を持ちこむことにより実験が行われた(参考図4)。本研究では、わが国が世界に誇る SPring-8高輝度放射光、それも最も高いフォトン数の得られるビームラインを用い、その優れた性能を効果的に引き出し超微量物質の検出能力を飛躍的に高めるために蛍光X線の分光・検出に新しい技術を導入した(参考図5)。
本研究では、エネルギー分解能と信号対バックグラウンド比の両方を著しく改善することを目的として、全反射蛍光X線分析法において、ほとんどの場合に採用されているSi(Li)検出器※12に代え、湾曲結晶分光器の技術を採用した。科学技術庁 金属材料技術研究所において進められてきた技術開発の主要なポイントは、ダウンサイジング(小型化)、すなわち湾曲結晶のローランド円半径100~120 ミリ程度まで小さくし、装置自体を小さくすることによる高効率化である。従来、結晶分光器を用いると、いかに信号対バックグラウンド比が優れていようとも、強度の損失が深刻であり、超微量物質の検出は必ずしも容易ではなかったが、この技術により全反射蛍光X線分析法の検出能力を著しく高めることができた。
また、測定の感度が非常に高まると、測定の対象として関心をもって扱う超微量物質のほかに、大気中を浮遊する微粒子等、本来は測定に無関係な超微量物質もまた検出されるようになるため、その影響を取り除く技術も必要となる。これに注意を払わないと、まるで無関係な外部からの単なる汚れを分析することになり、間違った検出限界を導く可能性さえ考えられる。放射光研究施設は、必ずしも超微量物質を専門に扱う施設ではなく、さまざまな機器を使用し、多種多様な実験を想定するビームラインに、クリーンな測定環境を導入することは必ずしも容易ではない。本研究では、移動式の二重構造クリーンブースを製作し、実験ハッチの中と外の両方に設置するとともに、試料の準備・搬送・取付の全過程に試料汚染の影響を取り除くための技術を導入した。
(3)得られた成果の詳細
今回の研究成果によって得られた蛍光X線スペクトルの例を示す(参考図6)。横軸はX線のエネルギー(波長)、縦軸は強度である。試料は、鉄、コバルト、ニッケルをそれぞれ20ppb 含む水溶液1滴(1万分の1ミリリットル)である。これをシリコンウエハ上に滴下・乾燥させた後、測定を行った。分光結晶にはGe(220)ヨハンソン型湾曲結晶※13が用いられた(ローランド円半径120ミリ)。得られたスペクトルのエネルギー分解能は約7~8eVであり、Si(Li)検出器よりも約20倍すぐれていることから、散乱X線に起因するバックグラウンドや原子番号の隣接する元素の影響を著しく減少させることができた。例えば、コバルトのKα蛍光X線は隣接する元素である鉄のKβ蛍光X線と普通であれば重なり、鉄の含有量が多いときはコバルトの検出は困難になるが、今回の実験では完全に分離して検出することができている。本研究では、単に元素を検出するだけでなく、Kβ線の近傍に現れるスペクトル変化に注目して化学種の識別に有用な情報をも抽出する技術に以前より取り組んでおり、この分光器のエネルギー分解能では、そのような化学状態分析も可能である。
検討の結果、液滴濃度として、ニッケルについては4ppt 、鉄、コバルトについては7ppt の検出限界が得られることがわかった。ppt レベルの化学分析法は他にあることはあるが、1万分の1ミリリットルの試料量で測定できる技術は、現在のところまだ他には存在しない。含まれる金属の絶対量としての検出限界は、ニッケルについて、4フェムトグラム、鉄、コバルトについて7フェムトグラムで、いずれも原子数では107個オーダー(表面)になる。この数値は、これまでに報告されている世界最良の検出限界の記録よりも約1 桁良く、この技術が実際に多用されている通常の実験室系の全反射蛍光X線法と比較すると、約3.5桁優れている。このように超微量物質の検出能力を未踏の領域まで高め、しかも同時にエネルギー分解能の改善によりスペクトルの品質を向上させ、得られる情報の質を高めたことは画期的である。
3.波及効果および今後の展望
この新しい超微量物質の検出技術により、ナノテクノロジーやライフサイエンスなどの先端科学技術の更なる超微量物質を対象とする新たな研究領域への展開が期待される。
例えば、超微量物質のレベルを制御した先端材料・デバイスの開発は、重要な応用分野である。電子産業においては、シリコンウエハ表面の超微量物質の汚染を分析・管理する技術が次期超高集積回路の開発において決定的に重要である。今回の技術開発により、これまでは256メガビット~1ギガビットのDRAMの開発に対応した汚染評価までが限界であったが、今後は1テラビットのDRAM開発に対応できる可能性がでてきた。シリコンだけでなく、もとより材料科学技術においては、対象とする研究領域の微少化が進んでおり、その探求の重要かつ必須のツールとしての超微量物質の役割評価の出番が期待されているところである。更に、大気・土壌・水の環境汚染レベルの評価や環境ホルモンの問題、あるいは宇宙塵等、地球外からの物質に含まれる超微量物質についての研究、生体の特定の部位に存在する超微量物質の濃度変化と代謝・疾病等の関連についての研究、宇宙・航空機事故等や犯罪現場の遺留品や芸術文化遺産の分析等、測定試料の量が限られる貴重試料の分析など様々な分野への応用が期待される。
科学技術庁 金属材料技術研究所では、X線分光器の技術の最適化により、さらに検出限界を更新が可能であると見て、SPring-8 高輝度放射光を用い、一層の技術開発を継続していく計画である。また、今回、諸外国の放射光施設での検出限界の記録よりも約1桁良い結果を出せたことを契機に、日本発、SPring-8 発の一層優れた分析技術の開発、確立とその新しい応用展開に力を注ぐ機運を高めるべく努力したい。
《参考資料》
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<用語解説>
※1 SPring-8
世界最高性能の放射光を発生することができる大型研究施設。日本原子力研究所と理化学研究所が共同で建設。平成9 年10 月に供用を開始。(財)高輝度光科学研究センターが運営。
※2 蛍光X線分析法
物質にX線を照射したときに出る蛍光X線を利用して行う、物質を破壊することなく元素を分析する方法。
※3 検出限界
バックグランドに埋もれずに信号が検出されたと認められるギリギリのスペクトルを与える濃度、または絶対量をさす。通常、バックグラウンドの統計変動(カウント数の平方根)の3倍で定義する(参考図3)。従って、良い検出限界を得、超微量分析を実現するためには、いかに信号強度を稼ぐか、そして、いかにバックグランドを低く抑えるかがポイントとなる。高輝度光源を使うことにより、信号強度は直線的に強くなるが、バックグラウンドも強くなるし、同じ検出器で数えられる強度には制限もあるので、必ずしも検出限界の改善は簡単ではない。新しい工夫、技術の導入が必要である。
※4 fg(フェムトグラム)
10-15グラム、千兆分の1グラム。
※5 蛍光X線
物質をX線で照射したときに原子の内殻軌道の電子を励起放出し、この空準位に高い準位の電子が移るときに放射される特性X線。物質中に含まれる各元素に固有な波長(エネルギー)をもつ信号である。
※6 バックグラウンド
超微量物質からの蛍光X線とは無関係に観測されるX線。超微量物質の検出の妨げになる。
※7 ppm(ピーピーエム)/ppb(ピーピービー)
ppm=part per million 、10-6、100万分の1。ppb=part per billion 、10-9、10億分の1。
濃度表記としてよく使われるppmは10-6のことで、ppbはppmのさらに1000分の1の濃度であることを表す。
※8 ppt(ピーピーティー)
ppt=part per trillion 、10-12、1 兆分の1。ppbのさらに1000分の1の濃度。
※9 全反射蛍光X線分析法(参考図2)
試料に対しX線を全反射臨界角近傍の非常に浅い角度で入射させ、表面に含まれる元素からの蛍光X線を観測する分析法。物質内部からの散乱X線を低減させることができるため、よい信号対バックグラウンド比で微量成分からの信号を得ることができる。
※10 放射光
ほぼ高速で直進する電子が、その進行方向を磁石などによって変えられた際に発生する電磁波のことで、赤外線からX線までの広い波長領域の光に相当する。きわめて明るく、細く絞られ広がりにくい(指向性がよい)光。
※11 準単色アンジュレータ放射光
電子を周期的に小さく蛇行させて、蛇行の都度発生する放射光を干渉させることにより得られる、きわめて明るい光をアンジュレータ放射光という。モノクロメータなどの単色化装置を用いなくとも、狭いエネルギー幅をもった準単色光が得られるため、非常に高輝度のX線を利用することができる。
※12 Si(Li)検出器
放射線検出器の一種であり、半導体検出器の部類に属す。半導体としてSi を用い、Li をドープしたものである。この他半導体としてGe を用いたものがある。検出器を置くだけで分析ができ、全方向に放射される蛍光X線を高効率に検出することができるのが利点である。エネルギー分解能は、多くの場合、約170eV 程度で、原子番号の隣り合った元素からのKα線を分離することはできるので、元素分析は可能であるが、超微量分析を行う場合は、散乱X線バックグラウンドや主成分の蛍光X線の影響を十分に避けることは難しく、もっと良いエネルギー分解能の検出システムが待望されている。
※13 Ge(220)ヨハンソン型湾曲結晶
ゲルマニウム単体結晶の(220)面(面間隔 2d=4.005 オングストローム)を反射面としたブラッグ反射を利用した分光結晶。結晶面を半径2Rの曲率で曲げ、さらに表面を半径Rの円柱曲面に削ったものをヨハンソン型湾曲結晶という。ここで半径Rをローランド円半径と呼ぶ。
<本研究に関する問い合わせ先> <SPring-8についての問い合わせ先> |
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