大型放射光施設 SPring-8

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生命の設計図DNAは規則正しく束ねられておらず、かなり「いい加減な」状態で収納されていた!(プレスリリース)

公開日
2012年02月18日
  • BL29XU(理研 物理科学I)
  • BL45XU(理研 構造生物学I)

2012年2月18日
情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所

本研究成果のポイント
•全長2メートルにもおよぶヒトゲノムDNAが細胞の染色体の中にかなりいい加減(不規則)に収められていることを発見。
•遺伝情報の収納、検索、読み出しの仕組みを知る手がかりが得られた。

 分裂期染色体(以下、染色体)は、細胞が分裂する際、DNA※1がコンパクトに凝縮した「DNAの束」です(図1)。生物学の教科書では、DNAの細い糸が「ヒストン」タンパク質に巻かれて「ヌクレオソーム」となり、このヌクレオソーム線維が規則正しく束ねられて「クロマチン線維」と更なる階層構造(積み木構造)ができる様子が図示されています(図2)。この定説は1970年代後半に提唱されたもので、異を唱える研究者はほとんどいませんでした。今回、国立遺伝学研究所の前島一博教授らのグループは、独立行政法人理化学研究所(理研)の大型放射光施設SPring-8※4の強力なX線を用いて、ヒト染色体の構造を詳細に調べ、定説を覆す結果を得ました。規則正しく束ねられたクロマチン線維は存在せず、かなりいい加減に凝縮した状態で染色体内に収められていることを突き止めたのです。いい加減に束ねるということは、細胞が最小限のエネルギーで、合理的に染色体を作っていると考えられます。

本研究成果は、ヨーロッパ分子生物学機構雑誌EMBO Journal (2月17日号) に掲載されました。

(論文)
"Human mitotic chromosomes consist predominantly of irregularly folded nucleosome fibres without a 30-nm chromatin structure".
日本語訳:ヒト分裂期染色体は、30ナノメートルクロマチン線維なしに、基本的にヌクレオソーム線維の不規則な収納から成り立っている
Nishino, Y., Eltsov, M., Joti, Y., Ito, K., Takata., H., Takahashi, Y., Hihara, S., Frangakis, A.S., Imamoto., N., Ishikawa, T., Maeshima, K.
The EMBO Journal, Published online: 17 February 2012

<研究の背景>
 私たちの体は約60兆個の細胞からできています。その1個1個の細胞に、全長約2メートルにも達する、生命の設計図であるDNA※1が収められています。細胞が分裂する際、DNAは切れたり、絡まったりするのを防ぐため凝縮し、染色体と呼ばれる46本のDNAの束になります(図1)。染色体は、19世紀末からその存在が知られていました。

 DNAは直径2ナノメートル※2のとても細い糸で、ヒストンと呼ばれる糸巻きに巻かれて、直径約11ナノメートルのヌクレオソーム線維を作ります(図2)。1976年、イギリスのクルーグ(1982年ノーベル化学賞受賞)らは、このヌクレオソーム線維がらせん状に規則正しく折り畳まれて、直径約30ナノメートルのクロマチン線維ができると提唱しました。現在広く受け入れられている染色体構造の定説では、染色体は、こクロマチン線維が、らせん状に巻かれて100ナノメートルの線維をつくり、つぎに200-250ナノメートル、さらには500-750ナノメートルのように、規則正しいらせん状の階層構造(積み木構造)を形成するとされてきました(図2)。実際、分子生物学の最も有名な教科書である「細胞の分子生物学」では、過去25年以上に渡って、この定説が掲載されてきました。また高等学校の生物IIの教科書にも記載されています。

 国立遺伝学研究所の前島一博教授は、一貫して、DNAの束ねられ方や収納のされ方に着目して研究を続けてきました。 2008年、当時、理研・細胞核機能研究室(今本尚子主任研究員)にいた前島教授らは、ドイツEMBLのグループと共に、生きたままに近い状態の細胞を観察できる特殊な電子顕微鏡(クライオ電子顕微鏡※3を用いて、ヒトの分裂している細胞を解析しました。その結果、ヌクレオソーム線維の存在を示す「直径11ナノメートルの構造」を観察することはできましたが、定説のクロマチン線維モデルにある「直径30ナノメートルの構造」を観察することはできませんでした。(Proc Natl Acad Sci USA (2008) 105: 19732–19737に発表)。しかしながら、クライオ電子顕微鏡観察は、70ナノメートル程度の薄い切片を観察しますので、染色体のごく一部しか解析できません。また、得られた画像の濃淡が極めて薄いなど、いくつかの技術上の問題がありました。

<研究の詳細>
 今回、前島教授らは、「もしかしたら、定説のようなクロマチン線維は存在していないのかもしれない」と考え、X線散乱を用いて、ヒト染色体の構造解析をおこないました。蛋白質などが集まった構造体にX線を当てると、その構造体の規則性に応じた散乱パターンが得られます。もし、30ナノメートルのピークが観察されなければ、規則的な構造のクロマチン線維は存在しないということになります。また、X線散乱は染色体丸ごとの構造解析が可能で、クライオ電子顕微鏡の弱点を補うことができます。

 X線散乱の測定は理研・播磨研究所の大型放射光施設SPring-8※4を用いておこないました。放射光は強力なX線であり、通常のX線より詳細な構造解析をおこなうことが可能です。SPring-8の構造生物学 Iビームライン(BL45XU)で、理研の伊藤和輝協力研究員らとともに、ヒト染色体に放射光を照射したところ、30ナノメートルの散乱のピークが観察されました。実は、25年以上も前、イギリスのグループが、X線散乱による染色体の構造解析をおこない、30ナノメートル程度のピークが観察されていました(Langmore JP, Paulson JR (1983) J Cell Biol 96: 1120–1131などで発表)。そして、このピークが染色体に30ナノメートルのクロマチン線維が存在する強力な根拠の一つとなっていました。

 しかしながら、これらの結果は、クライオ電子顕微鏡での観察の結果と一致しません。このため、前島教授らは「なぜクライオ顕微鏡での結果と一致しないのか」という疑問について詳細に検討し、X線散乱による30ナノメートルのピークが、染色体の本体ではなく、染色体の表面に付着したリボソーム※5によることを突き止めました。リボソームを取り除いた染色体で解析すると、30ナノメートルのピークは観察されなくなることを確かめたのです。染色体の中に30ナノメートルのクロマチン線維が存在する強力な根拠がなくなったわけです。

 さらに、定説(図2)で提唱されているような染色体内の階層構造(積み木構造)の有無を調べるため、理研播磨研究所・石川哲也主任研究員のグループの西野吉則専任研究員、高橋幸生基礎科学特別研究員らとともに、SPring-8物理科学Iビームライン(BL29XUL)で染色体照射をおこないました(図3)。染色体直径に相当する1マイクロメートルまでの範囲を調べ、城地保昌研究員、伊藤和輝協力研究員らと、詳細に解析したところ、定説で予想されていたような、約100ナノメートル、約200-250ナノメートルの線維の存在を示す散乱ピークは観察されませんでした。観察できたのは、ヌクレオソーム線維の存在を示す11ナノメートルのピークだけでした。一連の結果は、定説のモデルにあるクロマチン線維も、クロマチン線維がさらに規則正しく束ねられた高次の構造も存在していないことを強く示しています。このため、染色体にはヌクレオソーム線維がとても不規則に収納されていると考えました(図3)。

 不規則な収納にも関わらず、染色体はどうしてある決まった形を作れるのでしょうか?それは、染色体の中心部に、コンデンシンやトポイソメラーゼII※6と呼ばれる蛋白質が軸のようなものを作っているからだと考えています(図1)。つまり、束ねられ方がいいかげんでも、特定のタンパク質が軸となることで、決まったかたちの染色体を構成できると考えられます。

<本研究の意義>
 今回、前島教授のグループは、全長2メートルにもおよぶヒトゲノムDNAが細胞の染色体の中にかなりいい加減に収納されていることを突き止めました。決まった染色体の形から考えると、意外に思われるかもしれません。しかしながら、細胞にとって、クロマチン線維やより高次の構造を作るのは大きなエネルギーが必要です。最低限の秩序を保つ構造をつくり、あとはいい加減に凝縮して、なるべくエネルギーを使わずに染色体を作る方が合理的と言え、真核生物はそのような戦略をとったと考えられます。
 また、規則正しい階層構造を作っていると、いざ、遺伝情報を検索し、使おうとする際、多くの部分が隠されてしまうことになります。一方、ある程度のいい加減さを持って不規則に収納されていると、個々のヌクレオソームが動ける余地も増え、遺伝情報の検索にとっては便利なことが多いと思われます。本研究は染色体についておこなわれましたが、同じような仕組みは分裂していない状態の細胞にも存在していると考えています。今回の成果は、必要な遺伝情報が細胞の中でどのように検索され、読み出されるのかについて検討するヒントにもなります。将来的には、全く新しい概念によるメモリデバイスや情報検索システムの開発につながることが期待されます。

<研究体制と支援>
本研究成果は、理研・播磨研究所 石川哲也主任研究員、西野吉則専任研究員(現北海道大学)、城地保昌研究員、伊藤和輝協力研究員(現リガク)、高橋幸生基礎科学特別研究員(現大阪大学)、理研・基幹研究所 今本尚子主任研究員、国立遺伝研 高田英昭学振特別研究員、日原さえら氏(総研大)、ドイツEMBL Mikhail Eltsov博士、Achilleas Frangakis博士との共同研究です。 文部科学省XFEL利用推進課題、JST・CREST「コヒーレントX線による走査透過X線顕微鏡システムの構築と分析科学への応用」、文部科学省科研費・新学術領域「遺伝情報場」「少数性生物学」の支援を受けました。


《参考資料》

図1

図1 ヌクレオソーム線維(赤い線、図2参照)が染色体の中に不規則に収納されている。染色体には、コンデンシン(青色)やトポイソメラーゼII※6という蛋白質が軸のように存在する(左)。コンデンシンは輪切りの中心付近(右)でヌクレオソーム線維をループ状に束ね、そのループは中心部分に向かって不規則に収納されていると考えられる。


図2

図2(A) 直径2ナノメートルの細い糸であるDNA(1段目)は糸巻きであるヒストンに巻かれて、直径約11ナノメートルのヌクレオソーム線維(2段目)をつくる。このヌクレオソーム線維は規則正しく折り畳まれて、30ナノメートルクロマチン線維(3段目)を形成すると、長い間考えられていた。

(B) 古くから提唱されているモデルでは、クロマチン線維が、らせん状に巻かれて100ナノメートルの線維をつくり、つぎに200-250ナノメートル、さらには500-750ナノメートルのように、規則正しいらせん状の階層構造(積み木構造)を形成すると考えられてきました。


図3

図3 (A)SPring-8の物理科学Iビームライン(BL29XUL)で染色体に放射光照射をおこなった。染色体直径に相当する1マイクロメートルまでの範囲を調べ、詳細に解析したところ、定説(図2)に予想されていたような、約100ナノメートル、約200-250ナノメートルの散乱ピークは観察されなかった(B)。


《補足説明》
*1 DNA(デオキシリボ核酸)

DNAは、生命の設計図であり、2本のごく細い鎖が、同じ軸を中心にらせんをまいた構造をしています。2本の鎖には、遺伝暗号となる「塩基対のはしご」がかけられています。二重らせんの直径は約2ナノメートルで、DNAを伸ばすと、全長はヒトで2メートルにおよびます。このようなDNAは、細胞が分裂する際に、切れたり絡まったりしないように、46本の束に分けられて染色体をかたちづくり、複製を経て新しい細胞(娘細胞)に分配されます。

*2 ナノメートル
1メートルの10の9乗分の1(10-9)。

*3 クライオ電子顕微鏡
生きた状態に近い生物材料を観察することができる電子顕微鏡。一般的に、通常の電子顕微鏡では試料を真空中にさらすため、試料が化学固定・アルコール脱水・樹脂包埋・切片作成そして染色という複雑なプロセスを経る必要があった。こうした試料作製の過程は、細胞内のさまざまな分子を人工的に凝集させたり、逆に抽出してしまうことがある。このため、クライオ電子顕微鏡では、このような処理を一切行わず、「生きている」状態を保存するために、細胞を高圧下で急速凍結し、凍結した細胞を極低温下(-150 度)で薄く切り(切片化)、その切片を極低温下でそのまま観察する。

*4 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高輝度の放射光を生み出す施設。スプリング8(SPring-8)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来する。放射光とは、電子が磁場の中で曲がる際に生み出される強力なX線。

*5 リボソーム
細胞内に多量に存在する蛋白質合成工場。RNAと蛋白質からできている巨大な複合体。サイズは20ナノメートル以上にもなる。このため、多数のリボソームが染色体に付着した際、30ナノメートル程度の散乱ピークがでたものと考えられる。

*6 コンデンシン、トポイソメラーゼII
両者とも染色体形成に必須とされている巨大な蛋白質(コンデンシンは5つの蛋白質よりなる複合体)。両者とも染色体中に軸のように存在する(図1)。コンデンシンは現・理研主任研究員・平野達也らのグループによって1997年に発見された。トポイソメラーゼIIはDNAの絡まりをほどく酵素として知られており、その阻害剤は抗がん剤として広く用いられている。



《問い合わせ先》
 国立遺伝学研究所 構造遺伝学研究センター 生体高分子研究室
  教授 前島 一博(まえしま かずひろ)
    TEL:055-981-6864
    E-mail:mail

  知的財産室(広報担当)
    室長 鈴木 睦昭
    TEL:055-981-5873

(SPring-8に関すること)
 高輝度光科学研究センター 広報室
    TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
  E-mail:kouhou@spring8.or.jp

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