Topic 22 マントル遷移層の化学組成解明
マントル深部の地震波速度を実験室で測定する
半径約6400 kmの地球の地殻の下は2900 kmに及び岩石圏であるマントル層で、深さ410 kmと660 kmには、地震波の伝わる速度や密度が急激に上昇する「地震学的不連続面」が存在する。この2つの不連続面に挟まれたマントル遷移層の主要鉱物が何かについては、論争が続いている。これに決着をつけるためには、遷移層と同様の高温高圧を実験室で実現し、地震波(弾性波)の速度を測定し、実際に測定されている地震波速度との対比を行う必要がある。SPring-8の大型超高圧装置は、地球深部と同様の環境をつくることに成功し、遷移層の主要鉱物を確定し、さらに遷移層下部の構造を探る貴重な手がかりを獲得した。
「かんらん石か?ざくろ石か?」という議論
地球の体積の83%を占めるマントル層は、2つの地震学的不連続面で、上部マントル、マントル遷移層、下部マントルに区分される(図3)。上部マントルの主要鉱物はマグネシウムや鉄のケイ酸塩鉱物であるかんらん石(ペリドットとして知られる宝石の一種)というのが定説となっているが、マントル遷移層の主要鉱物に関しては諸説がある。主要なものは「マントル遷移層もかんらん石が主要鉱物である」「マントル遷移層の主要鉱物はざくろ石」という2説である。ざくろ石とは、カルシウム、マグネシウム、鉄など多様な原子が化合した鉱物で、宝石として知られるガーネットのことである。特に高圧下でできる特殊なざくろ石は、「メージャライト」と呼ばれる。両説をめぐり20年以上議論がなされてきたが決着はついていなかった。
地球内部の状況を知るための手がかりは、地表で測定できるP波、S波などの地震波で、深度に応じた地震波伝播速度が高精度で決定されている。地震波によって得たデータで地球内部を構成する鉱物の候補を想定し、それらの物質の地震波速度(弾性波速度)を測定すれば、いずれの候補が適当かは判断できる。しかしマントル遷移層が20万気圧の環境のため、地上での実験が難しく、「かんらん石か、ざくろ石か」の裁定にはまだ誰も成功していなかった。
マントル遷移層の主要鉱物はかんらん石
2005年4月、愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センター(GRC)の入舩徹男教授、肥後祐司研究員(現・JASRI研究員)、井上徹准教授、河野義生研究員、大藤弘明助教とJASRIの舟越賢一副主幹研究員らの共同研究グループが、論争に決着をつける研究に着手した。
ここで重要なのは、マントル遷移層と同様の環境を地上で再現することである。炭素が約5万気圧でダイヤモンドになるように、同じ組成の物質でも高圧下で異なった性質を示すようになる「高圧相」の例は多い。かんらん石の高圧相がリングウッダイトであり、ざくろ石の高圧相がメージャライトだ。入舩教授らは、SPring-8の高温高圧ビームラインBL04B1で、20万気圧を超える圧力下でのX線その場観察を可能にし、1998年に最初の研究成果を米科学誌『Science』に発表した。
しかし、マントルの物質を解明するためには、高圧高温を実現した上で地震波速度を測定する必要がある。このような地震波速度の測定技術は、ニューヨーク州立大学(SUNY)が先行していたが、測定できる限界は10万気圧程度だった。入舩教授らは、SUNYの技術に独自の圧力発生技術を組み合わせ、より高い圧力下での測定を可能にした。「まず高温高圧下におかれた2 mm程度の試料に地震波と同じ性質をもつ超音波を当て、試料を通過する時間を測定し、同時にSPring-8の超高輝度X線を照射し、試料の長さを精密に測定しました」と入舩教授は手順を語る(図1)。
こうして研究グループは、マントル遷移層の条件に対応する約20万気圧までの圧力、1400℃の温度下で、リングウッダイトとメージャライトの内部で地震波が伝わる速度を決定することに世界で初めて成功した(図2)。
この実験の結果を解析し、地震学的に得られている地震波速度データと対比したところ、マントル遷移層の主要鉱物も上部マントル同様かんらん石という結論に至り、米国のグループなどが主張する「ざくろ石説」は否定された。
ただし疑問は残った。マントル遷移層下部からの地震波の性状は、ざくろ石モデルはもちろん、かんらん石モデルでもうまく説明できないことが判明したのだ。
研究グループは、SPring-8の実験で得たデータを検討した結果、660 km不連続面直上の遷移層下部の地震波速度をもっともよく説明できるのは、「ハルツバージャイト」であるという結果を出した。ハルツバージャイトは斜方輝石かんらん岩とも呼ばれるかんらん岩の一種である。
「プレートの墓場」が存在する可能性
660 km不連続面直上のマントル遷移層下部の主要鉱物がハルツバージャイトであるという知見は、主要鉱物の同定という成果のみにとどまらない大きな意味をもつ。「プレートの墓場」が確認された可能性を示唆しているのである。
ハルツバージャイトは沈み込んだプレートの主要物質であることがわかっている。また日本列島直下のようにプレートが沈み込む領域の660 km付近に「スタグナントスラブ」というプレートがたまっていることが確認されている。このプレートはある大きさになると、下部マントルに崩落すると考えられており、「遷移層下部の主要鉱物はハルツバージャイト」という見解によって、スタグナントスラブが地球全域の数十kmから100 km程度に層となって存在する可能性が出てきた。これが沈み込んだプレートが横たわる領域、つまりプレートの墓場である(図3)。
660 kmに達したプレートがトイレの水を流すように下部マントルに崩落し、地表に大きな変動を及ぼす「フラッシング」というモデルが提唱されている。また崩落した冷たいプレートの塊に対応する量の熱い物質が、マントルと核の境界から崩落に同期して上昇してくる「巨大ホットプルーム」モデルも提唱されている。しかし「プレートの墓場」が広範に存在するなら、多くのプレートは660 km付近の領域にとどまることになる。すなわち「日本沈没」に象徴されるような急激なプレートの崩落による地殻大変動は起こらないことになる。この一連の成果は、2008年2月、英科学誌『Nature』で紹介され、世界の注目を集めた。
現在、研究グループは、プレートのもうひとつの構成物質である「海洋地殻物質」の地震波速度の測定を行うとともに、より深い下部マントルの物質の解明を目指し、25万気圧を超える圧力下での地震波速度測定技術の開発も行っている。プレートの墓場の存在やフラッシングの可能性について、結論を得るための研究も予定している。
こうした測定によるデータが蓄積されれば、謎だらけの地球深部の構造やダイナミクス、また地球の進化や生成過程が少しずつ、しかし着実に解明されていくことになる。
高圧を加え、ヒーターを用いて加熱した小さな試料に超音波を照射し、地震波(弾性波)の伝わる速度を計測し、同時に高輝度X線を照射して試料の長さの変化を測定した。
弾性波速度は圧力とともに増加し、温度とともに増加するが、メージャライトの速度はリングウッダイトに対して小さい。
今回の研究により、マントル遷移層が上部マントルと同じくかんらん石を中心とした物質でできていることを明らかになるとともに、その下部に「プレートの墓場」の存在が示唆された。
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