大型放射光施設 SPring-8

コンテンツへジャンプする
» ENGLISH
パーソナルツール
 

Topic 4 細胞表面に存在するイオンの通り道の動きを1分子で観測

チャネル分子の微細にしてダイナミックな構造変化をとらえる

細胞には細胞膜を貫通し、特定のイオンを通すチャネル分子というタンパク質が多種類存在し、さまざまな刺激を受けてイオンを細胞内に導き入れたり、遮断したりしている。一つの細胞の細胞膜にあるチャネル分子の数は、多い例では、数十万個にも及ぶ。その一種であるカリウムチャネルは、カリウムイオンだけを選択的に通す分子で、バクテリアから私たちの細胞に至るまで広く存在する。乳児突然死症候群をはじめとするイオンチャネル異常による疾患の治療に貢献するため、世界中の科学者が日夜そのメカニズムの研究を続けているが、SPring-8における実験によって、そのチャネル開閉の詳細が初めて動的な映像として可視化され、世界の注目を集めた。

必要なのは静止画ではなく「ビデオ映像」

カリウムチャネル分子は、刺激を受け取ると、カリウムイオンだけを高速で取り入れたり、遮断したりする。ではカリウムチャネル分子は、どのようなシステムによってカリウムイオンの流れをスイッチしているのか。

ドイツの生物理学者エルヴィン・ネーア博士と生理学者バート・ザックマン博士は、1分子のチャネルだけを隔離し、その電気的特性を観察する手法を確立し、1991年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

一方、米国の神経生理学者ロドリック・マキノン博士は、カリウムチャネル分子の立体構造を明らかにし、2003年にノーベル化学賞を受賞したが、生体膜中のタンパク質分子(膜タンパク質)の立体構造の解明例は数えるほどしかない。

2001年10月、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の一環として、「X線1分子計測からのin-vivo蛋白質動的構造/機能解析」の研究がスタートした。JASRIの佐々木裕次主幹研究員(現・東京大学教授)を代表とし、福井大学医学部の老木成稔教授、清水啓史助教らが参画する研究グループの重要なターゲットのひとつがカリウムチャネル分子の構造解明だった。カリウムチャネル分子の動きを実時間でとらえようという研究である。

1997年に佐々木主幹研究員は「X線1分子追跡法」という測定法を開発していた(2007年日本IBM科学賞を受賞)。まず1分子のカリウムチャネル分子に金ナノ結晶を結合させる。彼が開発した金ナノ結晶は、厚さ20 nm(ナノメートル=10-9 m)の層状の結晶だ。多くの回折点(X線の回折現象によって生じる斑点)が観測される通常の結晶と異なり、1つの結晶から1、2の回折点のみが観測される特長をもつ。これにX線ビームを当て、対象の分子運動を金結晶からの回折点の運動として計測する。計測学者である佐々木主幹研究員は、この技術の用途を模索してカリウムチャネルに行き着いた。「カリウムチャネルの静的な構造がわかっていながら、動的な仕組みはまったくわかっていませんでした。これを解明するインパクトはきわめて大きいと判断したのです」と佐々木教授は経緯を明かす。

利用したX線回折とは、基本的に回転運動をモニターできる現象であり、その検出精度は1ミリラジアン以下を実現できる。1ミリラジアンとは、試料から1 m離れるごとに回折点が1 mmずれる角度だ。この精度は他の可視光を用いた回折現象では達成できない。また、その運動を連続的に計測しなければならないので特殊な光源が必要となる。この測定に不可欠なのが、理研構造生物学IIビームライン(BL44B2、注:現在は理研物質科学ビームラインと改称され、単色X線のみ利用可)で得られる高輝度白色X線ビームだった。これは単色X線と異なり、多波長のX線を含むため白色X線と呼ばれ、広範囲の運動の情報を得ることができる。

カリウムチャネルの開閉は「ねじれ運動」

実験は、図1の手順で進められた。チャネルの開閉部位を観測するために、丸ごとの分子と細胞内領域を切り取った分子の2種類の試料が老木教授から提供された。まずカリウムチャネル分子を細胞外側でガラス基板に固定し細胞内側に金ナノ結晶を結合する。そして高輝度白色X線をカリウムチャネル分子に当てると金ナノ結晶からの回折点のみをX線計測モニター上で高精度に観測することができた。金ナノ結晶が動くと回折点を示す輝点がモニター上で動く。金ナノ結晶はチャネル分子に結合しているので、チャネルの構造変化はX線計測装置で輝点の運動として観測できる。チャネルの形の変化はX線計測装置で半径方向の運動として観測され、ねじれ変化は円周方向の運動として観測される。

カリウムチャネル分子の中央にイオン透過路がある(図1B、図2C)。ではイオン透過路の開閉はカリウムチャネル分子のどのような動きによって行われているのか。これを知ることが実験の目的である。

観測の結果、その答えは「ねじれ」であることが判明した(図2)。チャネル分子が閉じた状態では、半径方向の運動のみが観測された。これはチャネル分子がわずかに屈曲していることを表している。「ところが開閉を繰り返す条件で実験を行うと、チャネル分子が大きくねじれていく運動が観測されたのです」と佐々木教授。さらに閉じるときには逆向きの構造変化が起こっていたのだ。チャネル分子がねじれ変化を起こすことで、細胞内側の入口で分子中央の穴が絞られたり、広がったりしているのだ。世界で初めてチャネル分子の開閉の秘密が明らかになった瞬間である。

また、このカリウムチャネル分子には、細胞質領域に突き出た構造がある(図1B右図)。末端に金ナノ結晶を結合し、チャネル分子の開閉状況を観測すると、ほぼ同様なねじれ変化が観測できた。ねじれは細胞質領域側の末端まで伝達されているのである。

さらに興味深いのは、チャネルタンパク質分子が関与する疾患の治療薬「チャネル阻害薬」の作用機序を明らかにした点だ。これらの薬物分子はイオンの通る穴の深部に到達し、チャネル分子の穴をふさいでイオンを遮断するが、チャネル阻害薬の存在下でチャネルの構造変化を見ると、なんとねじれが止まってしまった。チャネル阻害薬はイオンの流れを遮断するだけでなく、チャネル分子の構造を固定してしまうのである。これはチャネル分子の構造変化が穴の付近で起こっていることを示す事実でもある。

この一連の研究成果は、2008年1月発行の米国科学雑誌『Cell』に掲載され、「チャネル研究史において、1分子構造変化観測というきわめて大きな足跡を残した」と高い評価を受けた。

図1.測定の概略
図1.測定の概略

A:ガラス基板に固定したチャネル分子に金ナノ結晶をつける。これにX線を照射すると、金ナノ結晶からの回折点がX線モニター上で観測される。矢印OPは金結晶のX線回折面の向き。B:カリウムチャネルの動きを2箇所で観測。チャネルの開閉部位を直接観測するために、丸ごとの分子と細胞内領域を切り取った分子の2種類の分子を使用してどの部分から運動が発生しているかを調べた。チャネルの細胞内側に金ナノ結晶をつけたが、細胞膜直下(左)と細胞内側先端(右)の2箇所で動きを観測した。赤色丸はチャネル阻害剤が結合する部位。橙色丸と黄色丸は金ナノ結晶との結合位置。C:チャネルの構造変化と回折点の動きの相関。チャネルが屈曲すると半径方向に、ねじれると円周方向に回折点が動く。

図2.カリウムチャネルのねじれ構造変化
図2.カリウムチャネルのねじれ構造変化

A:回折点の動きを撮影した連続画像。実際の撮影は33ミリ秒間隔だが、抜粋して表示。B:回折点の軌跡。759ミリ秒間の画像を重ねた画像。右の青円が図1AのX線モニター中央黒丸に相当。回折点の回転運動はチャネルのねじれを意味する。C:細胞内側から見た開閉に伴うチャネルの構造変化。青(閉構造)から赤(モデル)へと変化することによって中央のイオン透過路が開く。

チャネル分子の変化をマイクロ秒の速さでとらえる

チャネル分子は生体を構成するあらゆる細胞に存在する。そしてイオンチャネル異常は、若年者の運動中の心臓マヒ、睡眠中に原因不明で亡くなるポックリ病、乳児突然死症候群などの心臓チャネル病をはじめとする多くの「チャネル病」をもたらし、てんかんもイオンチャネル異常が原因と考えられている。今回の研究成果によって、これらの患者において、イオンチャネル分子のどこに異常があるかを、動きのレベルで明らかにできる可能性が大きくなった。分子の運動を考慮した新しい創薬コンセプトが得られれば、飛躍的な効果を発揮する治療薬の出現が期待できる。

「次の目標はイオンチャネルの構造変化を1分子同時計測することです。すでにSPring-8ではマイクロ秒レベルで実時間追跡する技術が完成したので、同時計測の実現もそう遠い将来ではありません」と佐々木教授は今後の見込みを語る。なお、この課題は、SPring-8戦略的重点研究課題の指定を受け、2011年までの研究を継続中で、新しいCREST研究もすでに進行中である。