Topic 5 心筋収縮のX線回折法による観察
生きた動物の心臓の筋組織の変化を見る
先進国において心不全の死因に占める比率は年々増加しており、日本においても心不全患者数は増加している。心不全の治療法は年々進歩しているが、生命予後は決してよいとはいえず、中高年の生活の質、さらには医療経済にも大きく影響を与える重要な疾患とされている。近年、循環器疾患診断法はめざましい進歩をとげているが、拡張型心筋症をはじめ未だ病態が解明されていない疾患が数多く存在する。こうした中、2006年、SPring-8において、心臓の収縮の仕組みを生きた動物の心筋構成タンパク質レベルでの動態観察から調べることが可能となり、循環器疾患の診断法開発につながることが期待されている。
ナノオーダー・レベルで心筋の動きを解析
心筋障害で問題となる病態は収縮能、弛緩・拡張能の低下であり、これらの病態に密接に関連するのは、心筋に多数存在するアクチンとミオシンという収縮をつかさどるタンパク質だ。この両者の相互作用によって心筋が収縮し、血液を送り出していることは知られている。
心筋や骨格筋は、筋肉、筋線維、筋原線維という階層構造である。筋原線維は長軸方向に横紋を示す規則正しい周期構造をもつので「横紋筋」と呼ばれる。そしてこの周期構造の単位を「サルコメア」という。サルコメアには、ミオシンでできた「ミオシン繊維」とアクチンでできた「アクチン繊維」が存在する(図1)。ミオシン繊維のある部分はA帯と呼ばれ、アクチン繊維のある部分はI帯と呼ばれる。これらの線維間に結合(クロスブリッジ)が形成されると、相互に滑り込む形でサルコメアの長さが短くなり、心筋細胞は収縮し、力を発生させる。その収縮力を決めるのは,線維間の結合の強さである。
心筋細胞のサルコメアのA帯の横断面を見ると、ミオシン繊維とアクチン繊維が六角格子構造を形成している(図1、図2a)。そしてミオシン繊維のつくる面を(1,0)格子面,ミオシン繊維とアクチン繊維のつくる面を(1,1)格子面と呼ぶ。ミオシンもアクチンも数nm(ナノメートル=10-9 m)から数10 nmの大きさのタンパク分子であり、筋線維や格子構造もナノオーダーである。
1本の筋細胞の中には、多数の筋原線維があり、ここに筋収縮の最小単位であるサルコメアが直列に並んでいる。このサルコメアの中に多数のアクチン分子とミオシン分子からなるフィラメント(微小線維)が六角格子をつくり、規則正しく並んでいる。
心筋細胞の“伸び縮み”を担う筋原線維の動き
この微細な構造とその動きを把握し、心筋障害の病態解明の手がかりをつかむことを目指す研究を続けてきたのが、神戸大学大学院医学研究科の杜隆嗣助教、篠原正和研究員、兵庫県立淡路病院の横山光宏院長、JASRIの八木直人主席研究員たちの共同研究グループだった。
ナノオーダーの構造解析には電子顕微鏡が利用されてきた。電子顕微鏡では心筋組織を摘出し、化学固定して観察する。固定のために使う薬品によって、生体内とは異なる状態になる。そこでX線回折が試みられている。回折とは、X線などの電磁波が障害物の背後に回り込む現象で、結晶や筋線維のような周期性構造の場合には、回折したX線がその構造に特有のパターン(回折像)を示す。ただし従来の心筋のX線回折による解析は、心臓を取り出すか、開胸して行われるが、いずれの場合も心臓の置かれる環境は急速に変化し、実態とかけ離れた状態になってしまう。
そこで研究グループは、SPring-8の高フラックスビームラインBL40XUにおける解析に挑戦した。BL40XUで利用できるX線は、他の単色光ビームラインの100 倍以上の輝度と高い指向性(平行性)を特徴とし、生きた動物の動いている心筋細胞のタンパク質分子の動きが把握できる可能性があった。
心筋細胞のサルコメアの格子構造にX線を照射すると、回折によって、この六角格子を確認することができる。(1,0)格子面によるものが「(1,0) 反射」、(1,1)面によるものが「(1,1)反射」と呼ばれる(図2)。反射は筋肉の長軸を地球の子午線とすると、これと直角の方向に出るために「赤道反射」と呼ばれる。この赤道反射は、サルコメア内でミオシン繊維とアクチン繊維が規則正しい配列をもつことを教えてくれる。
ミオシン繊維とアクチン繊維が交互に重なりあって、お互いに結合しては滑り込むことにより心筋細胞の伸び縮みが起こり、心臓全体として収縮が起こる。
この線維の動きをゴムひもにたとえると、伸びるときには、ゴムどうしの間隔は狭く、縮むときに間隔は広くなる。回折像の中心から赤道反射のスポットまでの距離はゴムひも間の距離に対応する。つまり、細胞の伸び縮みと筋原線維間の距離は相反するのだ。一方、(1,0)反射と(1,1)反射の強度の比が収縮に伴い変化する。これは収縮に際しアクチン繊維側にミオシン分子の頭部が結合することにより線維の質量がアクチン側へ移行することによる。強度の変化の度合いが大きいほど、より強く結合していることを示し、つまりより大きな力が発生していることを反映している。
「X線回折によって、線維と線維の間でどれだけ強力な力が発生したか、細胞がどれほどダイナミックに伸びたり縮んだりしたかを知ることができるのです」と杜助教。
アクチン繊維とミオシン繊維は六角格子構造を形成する。規則正しい分子の配列にX線を入射すると回折現象を生じるが、心筋の回折像(b)では、(a)に示した(1,0)および(1,1)格子面由来の赤道反射が観察される。
明らかにされた生きた筋組織のふるまい
X線を麻酔下のマウスの心臓めがけて照射すると、期待通り心筋からのX線回折像がディスプレイに映し出された(図2b)。(1,0)格子間隔と(1,0)/ (1,1)強度比を時間の経過とともに観察すると、収縮の際に、サルコメアの長さの短縮に反比例して、(1,0) 格子間隔は大きくなっていた。また、収縮にともなってミオシン頭部がアクチン繊維とクロスブリッジを形成することで、質量がアクチン繊維側へ移動し、(1,1)反射が強くなっていた。つまり(1,0)/ (1,1)比は小さくなるのである。一方、弛緩の際には(1,0)反射が(1,1)反射よりも強くなるという逆の現象が起こる。
興味深いのは、心筋が収縮する能力が低下した拡張型心筋症様の病変を呈するマウスの心筋の筋線維の解析結果だった。このX線回折像はぼやけていたのだ。これは筋線維の配列が、正常な筋線維と異なり不均一となっていることを意味する(図3)。心筋症における筋線維構造の異常が確認されたのは、世界で初めてのことだった。
「高輝度で高い指向性をもつX線による回折映像が、従来検知できなかった心筋の筋線維の分子レベルでの異常を見出す画期的な診断法となる可能性が高いことが判明しました。心臓の収縮能は保たれているにもかかわらず心不全を起こすといった症例に、しばしば遭遇します。近年、その機序に心臓の拡張能の低下が関与していることが示唆されていますが、その病態生理については十分に解明されていません。本手法は拡張性心不全をはじめ、いまだ不明な病態の解明に寄与することが期待され、従来の診断法では検知できない異常がいち早く、見出せるようになる可能性があります」と杜助教はSPring-8のX線回折への期待を語る。
本研究の成果は2006年3月に米国生物物理学会の機関誌である『Biophysical Journal』に掲載され、世界的な注目を集めた。
健常マウス心臓からのX線回折像(上)に比べ、心筋症マウスの心臓からのX線回折像(下)は不明瞭であり、筋線維の配列が不均一であることがわかる。