大型放射光施設 SPring-8

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Topic 9 すれすれ入射X線回折(GIXD)によるナノ表面解析

有機薄膜・フィルムの表面をナノレベルで解明

有機分子、高分子の分野において、有機薄膜やポリマーフィルムなどの「表面」への関心が高まっている。有機薄膜トランジスター(TFT)に代表されるように、表面の構造がその機能を大きく左右する分野が拡大しているからだ。しかも数nm(ナノメートル=10-9 m)から数十nmまで、その用途によって、注目するべき深度は多様であり、有機分子や高分子の表面構造の研究は、まだ10年余の歴史しかない。これらのナノ表面構造評価を可能にしたのは、SPring-8の高輝度と高い平行性を誇るX線によるすれすれ入射X線回折法(GIXD)である。ここではGIXDを活用した有機半導体薄膜の結晶構造形成のメカニズムの解明と、ポリマーフィルムの表面構造解明に関する成果を紹介する。

ナノ表面の結晶構造の評価法「GIXD」

X線に対する物質の屈折率は1よりもわずかに小さいため、物質の平坦な表面すれすれにX線を入射すると全反射を起こす。全反射を起こす角度の前後で、微妙に角度を変化させながら、反射と屈折、そして回折を測定することで、試料の10 nm以内の表面とそれより奥の内部の原子・分子レベルの構造を区別して把握するのが「すれすれ入射X線回折(GIXD)」である。すれすれ入射は「微小角入射」とも呼ばれている。

X線の照射による回折の観察は、試料の前処理を必要とせず,X線照射による試料の損傷も少ないので,有機分子や高分子などの薄膜の構造評価に適しているが、有機分子や高分子の結晶は、X線の散乱強度が弱いため、微弱なX線の強度とその幅を検知するには通常の輝度のX線では不可能であり、入射角度を微妙に制御するには平行性も求められる。そこでSPring-8の高輝度・高平行性を誇るX線が必要となる。

末端官能基による膜形成機構の変化

有機薄膜の構造を1分子レベルでとらえるという課題に挑んだのは、岩手大学の吉本則之准教授、仏マルセイユ・ナノサイエンス学際センター(CINaM)のC. ビデロット・アッカマン博士、アルプス電気の浅部喜幸氏、JST岩手などによる共同研究グループだった。

TFTなど有機半導体を用いたデバイスは、低コスト、軽量、柔軟など多くの長所をもつが、分子配列にひび割れができる多結晶の発生などの欠陥が生じやすい。また結晶構造にばらつきがあり、導電率の不均一が生じやすい。こうした欠点によってデバイスとしての処理能力を示す電子やホールの「移動度」が高まらず、再現性にも難がある。

そうした課題を解決するには、結晶層の分子配列や薄膜の構造を知り、結晶成長のメカニズムも把握する必要がある。CINaMは30種にも及ぶ有機分子の誘導体を合成しており、その中のジスチリルオリゴチオフェン(DS-nT)とその誘導体を研究グループはターゲットにした。DS-nTは比較的高い移動度があり、長期安定性も備えている。

2006年11月、表面界面構造解析ビームラインBL13XU(薄膜回折計の移動により2007年以降は産業利用IIIビームラインBL46XU)でGIXD測定が開始された。

置換基のないDS-nTは1層目の分子集合体(アイランド)が形成される間に2層目、3層目も形成されるが、ヘキシル基(C6H13-)という置換基をもつものは、1層目が基板を覆うまで2層目が形成されず、2層目の形成とともに3次元的な結晶成長に移行することが、図1の原子間力顕微鏡(AFM)像からわかる。1層目は二次元的に広がるが、2層目の形成段階では急速に立体化した。このようすをGIXD測定すると、図2に示したように(020)のピークの位置から分子間距離は2層目から短くなったことがわかる。2層目を構成する段階でアイランドは驚くべき躍動感を示したのである。これに対し、ヘキシル基をもたない試料では、1層目と2層目以降とで形成メカニズムの差異はなかった。

末端官能基によって薄膜と基板との相互作用が異なり、膜形成の機構が変化することが分子レベルで初めて明らかになった。薄膜の1分子層目(ML)から多分子層目以降への結晶構造の変化を、分子間距離を含めて正確に知ることが、SPring-8におけるGIXDで初めて可能になったのだ。

一方、研究が進むうちに、結晶方位の異方性、つまり結晶構造のばらつきという有機結晶としてのネックは、逆手にとれることもわかってきた。「電磁気的に多様な指向性をもつアイランドがあることは、そこに豊富な組み合わせのバリエーションがあるということです」と吉本准教授。

その後、研究グループは、有機半導体超薄膜の成長初期の3次元結晶構造を解明し、望ましい電気特性を発揮する薄膜の分子構造も明らかにした。そして有機半導体分子が凝集し結晶が成長するメカニズムを明らかにするために、GIXDによる時間分割のその場観察実験に取り組んでいる。

図1.ヘキシル基を末端にもつDS-2T蒸着膜の成長初期過程のAFM像
図1.ヘキシル基を末端にもつDS-2T蒸着膜の成長初期過程のAFM像

(a) 〜(c):1分子高さのアイランドが水平方向に拡がり、基板全面を覆う。(d)〜(f):2層目が形成されると成長の様式が3次元的なものに変化する。

図2.ヘキシル基を末端にもつDS-2T蒸着膜の成長初期過程のGIXDデータ
図2.ヘキシル基を末端にもつDS-2T蒸着膜の成長初期過程のGIXDデータ

1分子層目(ML)の分子間の間隔と2層目以降の分子間距離および構造が異なることを示している。図の横軸のqは散乱ベクトルの大きさで、図に示す式によって格子面間隔dと関係づけられる量である。qが大きいほど分子間の距離が狭いことを表し、たとえば1層目の(020)格子間隔は0.39 nm、2層目以降は0.38 nmに対応する。2層目以降では1層目に比べて分子間の距離が縮んでいること示している。

高分子薄膜表面の問題点を探る

近年、電子・光学分野では有機分子や高分子を利用した薄膜化技術の高度化が進んでいる。薄膜は、そのほとんどが表面といっても過言ではなく、材料表面の構造や物性が、材料の機能特性に大きく反映される。ポリマーの表面領域の構造観察は、ポリイミド、ポリエチレンテレフタレート(PET)では報告されていたが、もっとも典型的なポリマーであるポリエチレンでは、試料調整の難しさから、これまで不可能とされてきた。

2002年、九州大学の梶山千里教授(現・日本学生支援機構理事長)、高原淳教授、佐々木園助手(現・JASRI主幹研究員)、JASRIの坂田修身主幹研究員らの研究グループは、高輝度・高平行性を誇るSPring-8のX線に期待を寄せ、ポリエチレンフィルム表面の高分子鎖の凝集構造をGIXDによって解明するという「不可能」への挑戦を開始した。

シリコン基板上で可能な限り凹凸がない状態に調整したポリエチレンの薄膜を用意し、基板上で融解した後、結晶化状態を制御するために72〜122°Cの任意の温度で熱処理した。膜厚は約400 nmである。BL13XUにおいてX線 のGI入射角0.11°で薄膜表面領域(図3(a)) 、0.20°で内部(バルク)領域(図3(b)) の回折強度のデータを取り、結晶構造を解析した。その結果、シャープな(幅の狭い)多数の回折ピークを得ることに成功した。SPring-8のGIXD測定が研究グループの期待に応えたのである。

結晶内の分子の配列を示す結晶格子を調べると、バルクと比較した場合、表面領域の格子のサイズは小さいことがわかった。バルクに比べ表面領域で隣接分子間の間隔が小さく、結晶が密に詰め込まれていることを意味する。有機高分子固体には、結晶部分と非晶部分が混在し、結晶化度が低いことが強度の低い要因とされるが、解析によって、表面領域の結晶化度はバルクより12 %低いことも判明した。

一方、表面領域の面内方向における結晶格子の秩序性を調べた結果、各格子の配置にばらつきが大きく、長距離秩序性にいたってはまったくない構造だった。表面領域では、熱放散、分子運動の自由度が大きいことなどの影響で、不安定な環境下での結晶化が推測できる。「表面の高分子鎖の凝集状態は時に薄膜材料そのものの物性・機能性を左右します」と佐々木主幹研究員は語る。彼女は、この実験で放射光の分析能力のすさまじさを目のあたりにし、高分子薄膜表面研究に必要不可欠な光だと実感したという。

研究グループは、典型的な結晶性高分子であるポリエチレンの薄膜表面がバルクと異なる特異的な分子鎖凝集構造を有し、歪みやずれが大きいことをナノレベルで初めて明らかにし、その成果は2003年に学術論文誌『Macromolecules』に掲載された。佐々木主幹研究員たちは、温度、湿度、光、応力など種々の外場刺激に対して表面領域の高分子鎖がどのように構造を変えるのか、放射光を利用して高速時間分解計測で構造変化のその場観察を継続している。

図3.シリコン基板に製膜したポリエチレン薄膜の面内GIXDパターン
図3.シリコン基板に製膜したポリエチレン薄膜の面内GIXDパターン

ブラッグ反射のピーク位置と幅を使って解析した結果、薄膜の表面近傍(a)では内部(b)と比較して結晶を構成する原子の空間配置がより乱れた状態にあることがわかった。計測に用いた薄膜の膜厚は、約400 nmであった。