Topic 11 フロンティア · カーボン材料の構造決定
ナノ世界の謎の多面体群〜その素顔に迫る
炭素原子60個がサッカーボール状に結合したフラーレンや、六角形網目状に炭素原子が結合したグラフェンシートを細長い管状にまるめたカーボンナノチューブは、次世代ナノテクノロジーの花形素材として脚光を浴びている。また一方では、それら新素材の特性解明や応用技術確立を目指した基礎研究も進んでいる。だが相手はその素顔を容易には見せようとしない極微世界の名優たち——その真の姿を知るためには、100万分の1 mm単位のナノ世界を明るく照らし出せるような、きわめて波長の短い高輝度X線が必要なのだ。世界一の性能を誇る大型放射光施設SPring-8はその意味でも時代の申し子といえよう。
期待の素材、フラーレンとナノチューブ
1985年にR.E.Smalley、H.W.Croto、R.F.Curlらによって発見されたフラーレン(C60)はサッカーボールと同じ形をしていることでも評判を呼び、1996年、彼ら3人はノーベル化学賞に輝いた。5角形と6角形とが組み合わさった形状のこの分子は、5角形と6角形を並べ配したドームのデザインで名高い建築家、バックミンスター・フラーの名にちなんでフラーレンと命名されている。
その後、フラーレンには、回転楕円体形をしたC70や金属原子を内包したものなど、さまざまな構造のものがあるらしいことが判明した(図1A)。ただ、金属内包フラーレンについては、フラーレン発見から10年を経ても、「分子中に金属が内包されているのは事実なのか?」という根本的な疑問が残されたままだった。
一方のカーボンナノチューブ(図2)は、1991年、NEC筑波研究所の飯島澄男研究員 (現・名城大学教授)によって発見された。炭素のみで構成される管状物質で、その口径は髪の毛の1万分の1ほどだ(図2)。電気的にも物性的にも優れた特質をもつため、ナノテクノロジーの基幹物質として注目を集めている。すでに微小化の限界にあるシリコン素子に替わる次世代電子素材としても期待されるが、それを実現するには、精度の高い伝導性制御技術の確立が不可欠だ。
(a)では1個の5角形を5個の6角形が取り巻いている。(b)は回転楕円体状のフラーレン。
図1B. Sc2@C66の電子密度の様子とその構造モデル
これまでの常識を破るフラーレンの構造が明らかになった。
各種フラーレンをはじめとする内部の有機分子から外側のチューブに電気を運ぶキャリヤ(電子)が供給され、その結果チューブは伝導体となる。フラーレンを詰め込んだものはその形状からピーポッド(さやえんどう)と呼ばれる。
次々に解明される金属内包フラーレンの素顔
1995年、名古屋大学の坂田誠教授や高田昌樹助教授(現・理化学研究所主任研究員)らは、放射光X線により、炭素原子82個からなるフラーレン(C82)が実際に金属原子イットリウム(Y)を内包する様子(Y@ C82と表記:「@」は「内包」を意味する記号)を直接観察することに成功し、その決定的な証拠データを世界に向けて公表した。またそれに続き、スカンジウム(Sc)やランタン(La)などの金属を内包する新たなフラーレン、Sc@C82、Sc2@C84、Sc3@C82、La@C82、La2@C80、Sc2@C66の構造解明を成し遂げた。これらの研究には、SPring-8の粉末結晶構造解析ビームラインBL02B2の粉末X線回折装置と、高田助教授らが開発したMEM/Rietveld法(構造未詳の物質の大まかな構造モデルから原子の詳細な配列を決定する画期的な構造解析法)が用いられ、絶大な威力を発揮した。波長の長い可視光線では観測不能な原子や分子でも、原子とほぼ同サイズの波長のX線なら観測できる。原子や分子を照射したX線の回折光を観測し、そのデータをコンピュータで変換すれば映像を再現できるのだ。
名古屋大学の篠原久典教授らは2000年に新しい金属内包フラーレンSc2@C66(Scを2個内包)を創り出した(図1B)。狙いは、安定に存在するフラーレン分子の形についての従来の学説を打ち破ることにあった。その学説とは「5角形と6角形(5員環と6員環という)の炭素原子結合環が複数個組み合わさったフラーレンには、2個以上の5角形同士が隣接した形態のものは存在しない。そのような5角形の配列では、原子を結びつける電子の数が余ってしまい、構造が不安定になる。よって、5角形は必ず5個の6角形に取り巻かれるかたちで存在する。」というものである。「孤立5員環則(“Isolated Pentagon Rule”の和訳で略称は“IPR”)」と呼ばれるこの学説を、Sc2@C66が期待通り破ったことを証明したのが、高田助教授らによる厳密な構造決定である。このフラーレンは2個の金属原子(Sc)を内包した部分が大きく変形し、2箇所で5員環同士が隣接していたのである(図1B)。半導体や超伝導体のフラーレンなどの構造デザインにおける制約を取り払い、各種ナノテク素材開発の可能性を広げたこの大発見は、英科学誌『Nature』に発表され、新聞などでも大きく報道された。
ナノ集積回路開発への道を拓く
一方、「ナノチューブに有機分子を注入したらどんな未知の現象が起こるのかとわくわくしましたね」と語る東京大学の岩佐義宏教授(当時・東北大学教授)らのグループは、2003年、カーボンナノチューブ内に有機分子を挿入し、世界で初めてその電気伝導性を制御することに成功した。同教授らは、ナノチューブ内部にさまざまな種類の有機分子を挿入し、SPring-8の粉末結晶構造解析ビームラインBL02B2の粉末X線回析装置によってその機能と構造を解析した。その結果、挿入した有機分子からカーボンナノチューブへと電子の移動が起こることが確認され、挿入する分子の種類や数を変えることによりチューブの伝導体としての性質や電気伝導率を精度よく自由に制御できることが明らかになった。次世代IC素子の開発に弾みをつけるこの研究成果は、英科学誌『Nature Materials』の2003年10月号に掲載され、その構造模式図は同誌の表紙を飾ることになった(図2)。最近では、金属内包フラーレンを蛙の卵のようにナノチューブ内に詰めこんだ「ピーポッド(さやえんどう)」という新たなナノ構造体も生み出されており、挿入する金属内包フラーレンの種類を変え、多様な電気的特性をもつナノ回路を設計するのも夢ではなくなった。
岩佐義宏教授、高田昌樹主任研究員、イデアルスターの高林康弘主任研究員らは金属内包フラーレンの共同研究をさらに進めた。そして、セシウム元素(Cs)3個をドープ(注入)した新フラーレン(Cs3@C60)は常圧下では絶縁体だが、加圧すると38K(分子性超伝導体では最高の超伝導移転温度)で超伝導体化することを発見し、2008年7月の『Nature Materials』に発表した。ただこのCs3@C60が高圧下でのみ超伝導化する理由は謎のままだった。
そこでSPring-8の高圧物性ビームラインを用いてその解明を進め、Cs3@C60は常圧下ではモット絶縁体状態(電子がフラーレン本体に拘束され動けない特異状態)にあるが、加圧すると電子の拘束が解かれて金属化し、高いTc(超伝導移転温度)で超伝導が発現することを立証した(図3)。その業績は2009年3月の『Science』オンライン版に掲載された。岩佐教授は「フラーレンの超伝導メカニズム解明が一段と進んだので、その知見をベースに高性能新電子素子の合成を促進したい」と今後の抱負を語っている。
常圧では、隣り合うC60の分子間の距離が比較的離れているため、電子が分子間を移動できず分子上に止まっている。この状態はモット絶縁体と呼ばれる。圧力を加えるとC60の分子間の距離が近くなり、電子が隣に飛び移れるようになる。それと同時に電子間に強い引力が働きペア化して超伝導に転移する。