構造物性
原子と分子の並び方から物質の機能を知る
精密構造解析によって可能になる機能物性の本質的理解
この豊かな現代社会は、さまざまな物質や多様な機能をもつ基礎材料などに支えられている。深刻なエネルギー問題や環境問題に直面しているこの社会が持続可能な発展を遂げるには、物質のもつ機能のより効率的な利用や新機能の発見・創出が不可欠となる。物質の構造や機能を理解し、新しい物質のデザインを可能にする構造物性研究は、その種の社会的要請に応えるための学問領域にほかならない。世界でも3つしかない第三世代大型放射光施設の中でもSPring-8の構造物性研究は最高の精度と技術力を誇っており、広範かつ高度な材料科学分野への展開を図りながら、現在も国際間の構造物性研究を牽引している。
SPring-8が可能にした精密構造解析
各種建造物や装置・機器類の筺体(機器を収納し防護する外箱)には機械的強度や化学的安定性に優れた物質が用いられる。情報社会を支える電子部品には電子輸送特性に優れた金属や半導体が不可欠だ。エネルギーや環境問題に対する取り組みでは、特殊な反応を示す物質やその反応を促進する触媒など化学的活性度の高い物質が必要となる。社会的に重用なそれらの物質は、有機物、無機物にかかわらず、すべて周期表にある諸元素で構成されているから、原理的には、含まれる元素の種類や配列を特定することによりその物性を究明できる。物質の構造と物性の関係を探るこのような研究は「構造物性研究」と呼ばれ、高度な機能をもつ物質のデザインを促進するための中心的な学問分野となってきた。
X線や電子線の回折現象の発見を契機に急速発展した構造物性研究は、物性の理解や機能的材料のデザインには不可欠となった。だが、物性の違いを左右する構造的変化の微細度が構造物性研究の手法で決定できる精度レベル以下であるような場合には、なおも経験的要素や他の測定手法に基づく情報に頼ることが多かった。換言すれば、構造物性研究の歴史は物質の構造究明の精度を高める闘いの歴史でもあったのだ。初期の構造物性研究は、0.01 nm(ナノメートル=10-9 m)程度という比較的大きな原子の位置変化によって誘電分極が起こる強誘電体の研究など、限られた分野で力を発揮した。一方、今日の先端的な諸物性研究には極めて高精度な実験が要求されるので、黎明期の構造物性研究手法では対応不可能になってきていた。そして、そこに登場したのがほかならぬSPring-8なのである。
SPring-8の放射光は、高輝度、低エミッタンス(ビームのサイズも光の発散度も小さく指向性が強い)、エネルギー(波長)領域の広さなどの特長をもつ。ビームサイズ(光線束の径)と光の発散が極めて小さいこの高輝度放射光を用いた精密な実験により、極微量の試料から十分な強度のシグナル(情報)を検出測定することが可能になった。そして、その結果、高精度の回折像が得られるようになった。通常100 μm(マイクロメートル=10-6m)程度のサイズの試料を用いる回折実験において、体積がその10億分の1にすぎない100 nm程度の強誘電体物質BaTiO3から回折像を得ることに成功したのは、その好事例である(図1)。さらに、精密構造解析においては、スピンクロスオーバー錯体Fe(phen)2(NCS)2でのFe-Nの結合の異方性を0.001 nm以下の精度で検証し、光照射による電子スピン状態の多様性をも明らかにした。
精密構造解析の進歩は試料の微量化や解析精度の向上のみにとどまらない。従来の構造解析は回折データがもっとも威力を発揮する原子の位置の再現が中心で、物質構成元素の周期的な原子配列を探るのが限界だった。だが、新たな解析手法による高精度の回折データは、原子を構成する電子の空間分布可視化や、原子間の結合や物質の電気伝導性を司る電子の特性に関する情報取得を可能にした。また、電子の空間分布密度勾配の検証により、次世代圧電材料として期待されるPbTiO3や分子貯蔵・分子輸送の機能を有するナノポーラス材料の電場の空間分布(電気的物理量の分布状態)可視化にも成功した(図2)。今、SPring-8での構造物性研究は、物質の構造とその性質の相互関係を直接に解明する段階にまで至っている。
試料セット用のガラス棒に取り付けられた微小結晶粒(A、B)の(a)光学写真、および、(b)走査型顕微鏡(SEM)写真。(c)測定された回折像と解析結果の構造モデル。(出典:Figure 4 of Yasuda, Murayama, Fukuyama, Kim, Kimura, Toriumi, Tanaka, Moritomo, Kuroiwa, Kato, Tanaka and Takata (2009). J. Synchrotron Rad. Vol. 16. pp.352-357)
図2.精密X線回折実験から電子密度分布、静電ポテンシャルマッピングまでの解析シークエンス
SPring-8が切り拓く構造物性研究
資源の豊富な米国でさえ第三世代放射光施設を設置し、物性研究を全面支援しているほどだから、天然資源に乏しい日本が国際社会で生き抜くには、天然資源のより効率的な活用と優れた人工資源の開発が重要だ。なかでも高度情報化社会を支える電子機器の高速動作に不可欠な材料・機器開発や、触媒反応や化学反応の反応過程解明が急務となっている。
物質の高度な機能を把握し活用するには、従来のような通常環境下での静的な構造物性研究のほかに、高温、高圧、強磁場などの特殊環境下でのダイナミックな物質構造の解明とその電子様態の把握が必要となる。SPring-8ではその放射光の優れた光源特性を最大限に活用し、局所的に形成される極限環境下での物質構造の研究をも可能にした。現在、地球内部のあらゆる環境条件を想定した圧力350万気圧、温度5000 K以上での回折実験が可能な施設はSPring-8のみである(図3)。この実験環境は、地球環境を解明し把握するにとどまらず、新しい物質相の発見や新機能材料の研究開発を促進するものでもある。
SPring-8は、放射光の安定したパルス性能とその制御技術を最大限に活かし、物質構造の動的変化の過程解明にも成功した。高速・高密度の書き込み/読み出し可能なDVDにおいて、0.3 μsで起こる記録過程でのDVD材料のダイナミックな構造変化を明らかにしたのもその一例だ。その過程の解明には高速時間分割測定技術の開発なども大きく寄与した。
地球の中心に相当する超高圧・超高温の状態(364万気圧、5500度)を実験室内で実現することに、世界で初めて成功し、地球内部の温度圧力条件を網羅した実験環境を実現。