自然界で最小の励起エネルギーをもつ原子核状態の人工的生成に成功 -超精密「原子核時計」実現に大きく前進-(プレスリリース)
- 公開日
- 2019年09月12日
- BL09XU(HAXPES)
- BL19LXU(理研 物理科学II)
2019年9月12日
岡山大学
高輝度光科学研究センター
理化学研究所
産業技術総合研究所
京都大学
♦発表のポイント
・自然界最小の励起エネルギーを持つ原子核状態(アイソマー状態)を、世界で初めて人工的に生成することに成功しました。
・大型放射光施設(SPring-8)の高輝度X線を用いた原子核共鳴散乱技術により、アイソマー状態を大量かつ自在に生成することが可能になりました。
・これによりアイソマー状態の研究が進展し、超精密原子核時計の実現に向けて大きく前進するものと期待されます。
自然界には約3300種以上の原子核が存在しますが、この中で最小の励起エネルギー(注1)をもつ原子核がトリウム229です。この励起状態(アイソマー状態と呼ばれる)は、レーザーを用いて励起することができる唯一の原子核励起状態であり、これとレーザーを組み合わせることにより超精密時計(”原子核時計”、注2)を実現することが可能となります。またトリウム229は宇宙膨張の謎の解明など、基礎物理研究の舞台(プラットフォーム)としても有益であると予想されています。 ■論文情報 |
<研究の背景>
《トリウム229とは?》
自然界には約3300種以上の原子核が存在します。このうち最も低い励起エネルギーを持つ原子核がトリウム229(原子番号Z=90、質量数A=229)です。アイソマー状態とよばれるこの状態と基底状態の間のエネルギー差はわずか数eV(注4)であり、レーザーでも励起可能なエネルギー領域にあると考えられています。通常原子核の励起エネルギーは少なくともkeVやMeVのエネルギーをもち、トリウム229のアイソマー状態は極めて特異な存在といえます。
《なぜ注目を浴びているのか?》
トリウム229のアイソマー状態は世界中の研究者の非常に熱い視線を浴びています。例えばヨーロッパでは、”nuClock”という8つの大学や企業からなるコンソーシアムを設立し、その研究に注力してきました。なお、岡山大学と理化学研究所もnuClock associatesとして参画しています。何故これほどの注目を浴びているのでしょうか?その理由は、トリウム229が自然界で唯一レーザーによる励起制御が可能な原子核であるということに加えて、日常生活への応用の面でも基礎科学の世界でも重要な役割を果たしうると期待されているからです。
現在、セシウム原子の周期的振動を用いた原子時計に基づき、時刻・時間が決定されています。これに対しトリウム原子核の周期的振動を基礎にすると、より高精度な時計(“原子核時計”)を構築することができ、全地球測位システム(GNSS; Global Navigation Satellite System)や地殻変動の観測を始めとする測地学の進歩を可能にすると期待されています。また基礎科学の観点からは、暗黒物質の探索(注5)や、物理定数の経年変化(注6)を探索する舞台(プラットフォーム)として威力を発揮すると考えられています。
《40年来の課題解決への突破口!》
トリウム229のアイソマー状態の研究は40年以上の長い歴史を持ちます。この努力の中でおおよその励起エネルギーが判明し、レーザーでも励起可能な領域にあるとの結論を得ています。しかしながら、いまだにレーザー励起の実現に必要な精度のエネルギー情報は得られておらず、またアイソマー状態の寿命についてもほとんど分かっていません。また、これまでにアイソマー状態からの光遷移の観測についても数多く試みられましたが、成功した例はありません。これらの困難な理由の一つはアイソマー状態を生成するのに放射線を伴う複雑な過程を用いなければならないことが挙げられます。実際、過去の実験はウラン233からの崩壊を用いてアイソマー状態を作り出すことを主な実験手段としてきました。
<研究成果の内容>
本研究では世界で初めてトリウム229のアイソマー状態を人工的に生成することに成功しました。本方法は大型放射光施設(SPring-8)の放射光を用いるもので、クリーンな環境でアイソマーを自在に生成できるという利点があります。
《研究方法の詳細》
本研究は SPring-8のBL19LXUとBL09XUの高輝度X線を用いて行われました。図1は、トリウム229の主要な状態を表します。通常トリウム229は基底状態にありますが、これに約29 keVのエネルギーを持つX線を照射すると、第二励起状態に遷移します。この状態への遷移は原子核共鳴散乱(注7)と呼ばれる手法を使って確認しました。図2は横軸に入射X線のエネルギー、縦軸に原子核共鳴散乱を起こした事象数を表します。図からも分かるように、入射X線エネルギーが、第二励起状態のエネルギーにピッタリ一致すると原子核共鳴散乱を起こす事象数が増加します。
本研究では、産総研が開発した高精度X線絶対エネルギーモニター(注8)を用いた測定を行うことで、第二励起状態のエネルギーやその寿命を世界最高精度で決定することに成功しました。また第二励起状態からアイソマー状態への遷移確率(分岐比)を決定することができました。これによりアイソマー状態が大量に生成されていることを実証することができました。
<本研究の意義と今後の発展>
一般に対象物の性質を詳細に知るには、対象物を数多く用意する必要があります。このとき実験の障害となる不純物が存在しないことが重要です。今回の研究の第一の意義は、トリウム229アイソマー状態を、制御された状態で自在に生成することに成功した点にあります。これに加えて、第二励起状態のエネルギーやその寿命、またアイソマーへの遷移確率などを正確に決定することができ、トリウム229原子核に対する理解が格段に進みました。
今後の目標は、アイソマー状態から基底状態への光遷移の観測です。これにより正確なアイソマー励起エネルギーの決定が可能となります。さらにはレーザーによる励起、高精度原子核時計の実現、物理定数の経年変化探索などを目指す計画です。
図1 トリウム229準位図(関係する基底状態及び励起状態) ①-②の順番でアイソマーを生成。今後は③に示したアイソマー状態からの光遷移を観測する計画。
図2 共鳴曲線(原子核共鳴散乱法によるトリウム229第二励起状態への遷移を確認)
■研究資金
本研究は、独立行政法人日本学術振興会(JSPS)「科学研究費助成事業」(JP15H03661, JP17K14291, JP18H01230 and JP18H04353)、松尾財団、EU FET-Open project(No.664732 (nuClock))の支援を受けて実施しました。
■補足・用語説明
注1.原子核の励起状態:
量子力学においては、原子核はとびとびのエネルギー状態を持ちます。この中で一番低いエネルギー状態(基底状態)にある原子核に、光や電子などの粒子を当ててエネルギーを与えると、原子核はそのエネルギーを吸収し基底状態とは異なる状態に移ります。この状態は一般に励起状態と呼ばれ、励起に必要なエネルギーを励起エネルギーといいます。ある時間(寿命)が経過すると、励起状態の原子核は基底状態に戻ります。
注2.原子核時計と原子時計:
これらの時計はいずれも、特定の2つのエネルギー準位間の遷移によって吸収される光やマイクロ波の振動数が一定であることを利用し、時間の基準を作ります。原子核時計は、原子核が電子の雲に囲まれているおかげで、環境変化の影響を受けにくいと考えられています。原子核時計の実現には2つのエネルギー準位間の遷移を精密に制御する必要があり、そのためにレーザーが用いられます。
注3.大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、指向性が高く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われています。
注4.eV:
エネルギーの単位。例えば、2 eVは赤色の光(波長~620 nm、振動数~4.8x1014 Hz)に対応します。
注5.暗黒物質:
宇宙には、通常物質(原子・分子など)の5~6倍の量の暗黒物質が存在します。質量は持つが、望遠鏡などでは観測できないことから、このような名前が付けられており、その正体はいまだ解明できていません
注6.物理定数の経年変化:
例えば、電子の電荷(厳密には微細構造定数と呼ばれる電荷に関連した数)は永久に変わることがないだろうと考えられており、従って物理定数と呼ばれてきました。近年、このような物理定数も宇宙史のスケールでは経年変化するかもしれないとの仮説が浮上しています。
注7.原子核共鳴散乱:
原子核が主として光やX線を吸収して励起状態に遷移した後、一定の時間を経て、元の状態に戻るような散乱過程。入射する光やX線のエネルギーが励起状態のエネルギーと完全に一致したときのみ、このような過程が生じます。
注8.高精度X線絶対エネルギーモニター:
産総研が開発したX線の絶対エネルギーモニターでは、自己校正型ロータリエンコーダーが内蔵された回転テーブルの上に、同位体を取り除くことにより高精度に結晶格子定数を求めた高純度シリコン単結晶を設置して精密な回転制御を行うことにより、X線の回折角度(入射X線と回折X線の角度)を高精度で決定します。自己校正型ロータリエンコーダーは、出力する角度信号に含まれる角度誤差(目盛りの誤差や取り付け時の軸ずれによる誤差)を自己検出して補正することで、0.1秒を超える高精度で角度を検出することができ、結晶格子定数をもとにブラッグの条件から入射X線のエネルギーを40万分の1の高精度で決定することが可能になりました。
<お問い合わせ> (SPring-8 / SACLAに関すること) |
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