Topic 20 原子核の共鳴を利用した超高分解能分光法の開発
物性の本質に迫る驚異の新分光計測技術開発
この世界にあるさまざまな物質の性質は、それらを構成する諸元素の機能や組み合わせいかんによって決まる。さらに、各元素の諸々の機能や特性は、それを構成する原子や電子の様態によって決まる。メスバウアー分光法は物質の基本である原子や電子の詳細な様態を検証・把握するのに不可欠な技術だが、計測メカニズムに起因する制約のゆえに、これまで高エネルギー領域での分光測定は難しかった。そんななか、京都大学の瀬戸誠教授らは研究試料にSPring-8の高輝度放射光を照射してメスバウアー分光測定を行う最新技術を開発した、その結果、ほぼすべての希土類元素をはじめ、多くの元素の精密な分光分析が可能になった。
原子・電子を探るメスバウアー分光法の課題
メスバウアー分光法は、物質中の元素のもつ原子価、電子構造、磁性などの様態を調べる方法で、照射される特定エネルギーのガンマ(γ)線に元素の原子核が共鳴励起し、γ線のエネルギーを吸収する現象を利用している。そのため、γ線の主線源としては、従来、分析したい元素の放射性同位体が用いられてきた。なかでも鉄(Fe)のメスバウアー分光は、物理化学分野だけでなく生物学や地球科学の分野においても多用されてきた。2004年には、火星探査機が採取した試料をメスバウアー分光法によって分析し、かつて火星には水が存在していたことなども明らかにされた。だが、Feをはじめとするごく一部の元素を除けば、各元素の測定に応じて放射性同位体の線源を用意するのが困難なうえに、きわめて寿命の短い放射性同位体線源を使用せざるをえないような元素の分析は至難であった。
「その難題をクリアする有力な手段として、大強度の放射光を利用するアイデアが浮上してはいたんです。でも、その実現にはなお課題がありました。30 keV以上の高エネルギー領域でのメスバウアー分光測定には、その大強度放射光に耐えられるような高速かつ高精度の新たな検出器が必要でした。高い励起エネルギーを要する種類の原子核の測定にはまだまだ制約があったんです」と京都大学の瀬戸誠教授は語る。
原子核の共鳴励起現象を用いて特定原子の核周辺の電子構造や磁性の測定を行うには、超微細相互作用という電子系と原子核系間の相互作用を利用する。これは、原子核のエネルギー準位(量子力学的に見た場合のエネルギーレベルの離散的な大小関係)が原子核周辺の局所的な電子構造や磁性の影響を受けて異なるエネルギー準位に転移したり、縮退(量子力学の用語で、2つ以上の異なる物理的状態が同一のエネルギー準位をとって存在している状態)が解けて分裂したりする様子を厳密に測定することで、電子系には撹乱を与えずに、その電子構造や磁性についての情報を得る技術である。
超高精度の分光測定実現に必要だった発想の転換
ただ、従来の放射光メスバウアー分光法では、核共鳴前方散乱法が用いられていた。これは、原子核のエネルギー準位間の相互干渉によるうなり(量子ビート)を測定する手法である。具体的には、パルス放射光によって原子核を共鳴励起させたときに、多数の異なる準位が干渉し合うことによって前方へと散乱されるγ線の強度を時間尺度で測定し、励起準位の状態を調べるものだ。だが、この手法で高エネルギーの放射光を用いるのは難しい。高エネルギーのγ線を放射したり吸収したりする際には一種の反動が起こって原子核が跳ね飛ばされるので(反跳と呼ばれる)、そのぶんγ線のエネルギーが本来の値より小さくなり、メスバウアー効果が起こりにくくなってしまうのだ。そこで、高エネルギー放射光によるメスバウアー分光測定実現のために、瀬戸教授らのチームは発想を転換することにした。
励起状態にある原子核がエネルギーの低い準位に落ちるときに、γ線の代わりに核のまわりの軌道電子を放出する現象を内部転換といい、その際に放出される電子のことを内部転換電子という。また元素に固有な一定値のエネルギー強度以上のX線を照射した場合、構成原子の内殻電子(内側の軌道の電子)が励起されて生じる空孔に外殻電子(外側の軌道の電子)が遷移する。このエネルギー値を「吸収端」という。外殻電子のエネルギー準位は内殻電子のエネルギー準位より高いから、遷移の際に双方のエネルギー準位の差に相当するエネルギー分のX線が放出される。このX線を蛍光X線と呼ぶ。研究チームは、その内部転換電子と蛍光X線とを検出測定することで高精度の分光測定を実現しようと考えた。
高輝度放射光によるメスバウアー分光ついに成功!
内部転換電子や蛍光X線から分光測定データは得られるものの、それだけでは測定精度も効率も悪い。そこで研究チームは、分光測定したい物質(測定試料)とその状態が十分解明されている基準物質(基準試料)とを併用し、それら両者の原子核エネルギー差を測定することにより、測定試料の特性に関するデータを得る方法を開発した(図1及びその解説参照)。この手法を用いると、高いエネルギー準位をもつ原子核の場合でも十分測定可能である。この手法でまさしくメスバウアー分光が行われることを確認するため、SPring-8のJAEA量子ダイナミクスビームラインBL11XUにおいて、詳しいデータが既知のFe酸化物、ヘマタイト(α-Fe2O3)の測定が行われた。その結果、検証実験で得られたスペクトルは、放射性同位体線源による既知のスペクトルと一致することが確認された(図2)。また、ゲルマニウム(Ge)の同位体で高い励起エネルギーをもち、励起エネルギー準位が短命な73Ge(第3励起状態68.752 keV)は、適切な放射性同位体線源が存在しないため従来測定は至難であったが、SPring-8の核共鳴散乱ビームラインBL09XUを用いた放射光メスバウアー分光により、その吸収スペクトルを測定することに成功した(図3)。そして、この成果により、ほぼすべての希土類をはじめとする諸元素にメスバウアー分光測定を適用することが可能になった。
「既存の手法では制約のあった微小試料測定、イメージング測定、複合極限環境下測定なども容易になりました。従来も測定可能だったエネルギー領域のスペクトルにも適用できるので、既存の大量データを活かし、より複雑なスペクトル分析を行う道も開けます。励起状態のエネルギー幅が neV (10-9 eV)程度ときわめて狭い原子核励起や、準弾性散乱(エネルギーの散乱体が運動し、時間変移する場合の散乱現象)の分光測定をneV単位の分解能で行うことも可能になりました」と瀬戸教授は話す。
この研究は、磁性材料科学や地球の内部構造を調べる地球科学分野の研究をも促進させるものと期待され、その一連の成果は2009年5月29日号の米物理学会誌『Physical Review Letters』に掲載された。
測定試料に放射光を照射し、その測定試料を透過してきた放射光を基準試料に照射する。そして基準物質内で核共鳴励起を起こした場合に散乱される蛍光X線等を検出する。吸収スペクトルを測定するには、基準試料側のエネルギーを変化させながら蛍光X線の散乱強度を測定する。エネルギーを変化させるには、速度トランスデューサーという装置で基準試料を動かす際に起こるドップラー効果を利用する。測定試料と基準試料のエネルギーが異なるときは(上図)、基準試料で核共鳴励起を起こすエネルギーの放射光は測定試料で吸収されないので、基準試料側で核共鳴励起が起こる。しかし測定試料と基準試料のエネルギーが等しいときは(下図)、核共鳴を起こすエネルギーの放射光は測定試料側で吸収されるので基準試料側では核共鳴励起が起こりにくくなる。そのため、散乱強度を示す精密なデータにおいては、両者のエネルギーが等しいところで吸収溝(ディップ)が観測される。逆にこの吸収溝が起こる位置がわかれば未知の測定試料のエネルギー状態を知ることが可能になる。
測定試料にはFe酸化物(α-Fe2O3)を用い、基準試料としてはパラジウム(Pd)金属に2%のFe原子をドープ(添加)したものを用いた。
測定試料にはゲルマニウム酸リチウム(Li2GeO3)を用い、基準試料としてはGe酸化物(GeO2)を用いた。
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Topic 19 超伝導発現と格子振動 ・ 電子励起との相関