大型放射光施設 SPring-8

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Topic 6 ウサギ新生児のイメージング

赤ちゃんはどのようにして呼吸を始めるか」を解明する

哺乳動物の胎児は肺で酸素を交換する必要がなく、肺は「肺水」という液体で満たされており、生まれてくるときにも肺に空気は入っていない。 新生児が正常な呼吸を開始するためには、生まれた直後にこの肺水を肺から取り除き、空気を入れなければならない。これがうまくいかないと新生児は呼吸ができず、命を落とすことになる。こうした事故を防ぐには、新生児が肺呼吸を開始するメカニズムを解明しなければならないが、実際に肺水と空気が置き換わる様子が観察できなかったので詳細は不明だった。しかし SPring-8 で、肺呼吸開始時の様子を観察することに成功し、肺に関する新しい発見が数多くなされ続けている。

X 線の屈折を利用した画像解析法

胎児は、胎盤越しに母体の血液から酸素を取り込む形で呼吸を行っている。胎盤がフィルターの役割を果たし、ヘソの緒を通して酸素を取り込んでいる。出生の際に肺水で満たされた肺を空気で満たし、肺呼吸を開始する。多くの新生児がこれを難なくやってのけるが、けっして簡単な作業ではない。全分娩の約10%に、自力で呼吸を開始できない「新生児仮死」が発生し、蘇生術が必要とされる。

では新生児はいかにして肺に空気を導入し、肺呼吸を開始するのか。新生児が口から肺水を吐き出す量は少ない。では肺水はどのようにして処理されるのか。これまでは、肺呼吸開始以降、時間の経過とともに何らかの仕かけで徐々に肺水が減少し、空気と置き換わるのだろうと考えられてきたが、あくまでも推測にすぎなかった。2003年、この謎の解明をめざしたのは、オーストラリア、メルボルンのモナッシュ大学とJASRIの共同研究グループである。

SPring-8では「屈折コントラストイメージング法」がJASRIの研究者を中心に開発されてきた。これはX線が物質を透過した際に物質ごとのわずかな屈折率の違いにより物質の境界(輪郭)でX線が重ね合わされるという特性を活かし、輪郭の明暗が強調された密度分布画像を得る手法だ(図1)。被写体から10 m離れたところで0.1 mmのずれが発生するといった微細な偏向角だが、JASRIが開発した解像度の高い画像検出器を用いることで検出が可能となった。レントゲン写真などのように被写体におけるX線の吸収と透過の差を利用している従来のX線造影技術(吸収コントラストイメージング法)よりも解像度の高い画像が得られる。

わずかな屈折率の差によって画像を得るために不可欠なのはX線の平行性だ。平行性の高いX線ビームはSPring-8の得意技のひとつである。

図1.屈折コントラストイメージング法と吸収コントラストイメージング法
図1.屈折コントラストイメージング法と吸収コントラストイメージング法

物体(茶色)にX線(矢印)が入射すると、物体によって一部のX線が吸収されるだけでなく、物体の表面でX線が屈折する。これによってX線の進行方向が変化する。物体の後ろでX線を記録すると、物体の直後では屈折の効果はまだ顕著ではなく、吸収の効果だけでコントラストがつく(吸収コントラストイメージング法)。これに対して物体から遠く離れた場所でX線を記録すると、屈折によってX線の方向が変わったことにより、場所によっては物体を通らなかったX線と曲がったX線が重なって、明るい部分が生じる。これによって画像は輪郭が強調され、コントラストの高い像が得られる(屈折コントラストイメージング法)。

空気が肺水を押し込めるという予想に反した現象

モナッシュ大学の研究チームは、SPring-8が10年にわたって蓄積してきたこの技術に着目して、ウサギ新生児の肺の観察に挑戦することになった。

全長220 mの医学・イメージングIビームラインBL20B2で、X線ビームを発生させる装置である偏向電磁石から210 mのところに検体を置き、その背後2 mの位置に検出器を置く。出産のタイミングを調整するのは難しいので、帝王切開で胎児を取り出す方法がとられた。

ただし経時的変化を観察するには工夫が必要だ。新生児は、母親の体外に出た直後から呼吸を開始するからだ。しかし胎児は羊膜という薄い膜で全身が覆われており、これをはがしたときに肺呼吸を始める。そこで胎内から取り出し、羊膜をはがさず、すぐに37℃に温めた水の容器に入れる。新生児を固定し、胸に平行にX線ビームが当たるように調整する。そして羊膜をはがし、すぐにX線を照射して観察を開始するのだ。

照射されたX線ビームは、微細な屈折をして背後の検出装置に至る。もちろん新生児の身体を透過したX線も検出装置に至る。0.8秒間隔で連続的に獲得したデータはコンピュータ処理され、ディスプレイ上に新生児の肺のリアルな映像を映し出した(図2)。はたして肺水はどのようにして空気と入れ替わるのか。そのウサギの新生児の肺の映像は予測に反した事態を示した。新生児が呼吸を行うと空気が肺に入り込み、そのまま肺を満たしたのだ。

「これは呼吸で入ってきた空気が、肺の中の液体を肺の内部に押し込んでいることを示していたのです。この予期しなかった現象は、吸気が肺の中の液体を除去するのに重要な役割を果たしていることを示しています」とJASRIの八木直人主席研究員は説明する。八木主席研究員は、屈折コントラストイメージング法の開発に携わってきたX線画像解析の専門家であり、モナッシュ大学との共同研究の中心人物である。

呼吸器の連携によって肺水は、肺の奥に追いやられ、息を吐き出すときでも、それが逆流することはなかった。肺胞などの末梢の器官の壁を通って組織に入り込み、おそらくリンパ管や血管を通し、ある程度の時間をかけて処理されるのだろう。

研究グループは、哺乳類の新生児の肺への空気の導入過程を可視化し、誕生時の呼吸開始機構を解明することに世界で初めて成功したのだ。この研究成果は、米国と欧州の小児科学の公式学術誌『Pediatric Research(小児科学研究)』の2009年版に掲載された。

図2.ウサギの新生児の胸部画像
図2.ウサギの新生児の胸部画像

aは呼吸前、b、c、d、e、fは呼吸後(数字は呼吸後の経過時間)。aは肺水で満たされ、空気の経路は構成されていない。他の画像では、気管や気管支が見え、時間の経過とともに末梢にも酸素が供給されていること示す「斑点」が見え、30分後、60分後には肺の輪郭や横隔膜の存在がクリアになっている。

肺水を押し込める人工呼吸法が有効

出生後にも肺水が肺に残留すれば、赤ちゃんは呼吸困難に陥ることになる。これを避けるために未熟児や呼吸障害のある新生児の場合には人工呼吸を施す必要がある。未熟児や新生児に対してもこれまで大人と同様の人工呼吸法が施されてきた。

しかしモナッシュ大学と八木主席研究員たちの研究によって、新生児は呼吸によって肺の奥に肺水を押し出していることが判明したことで、肺に肺水で満たされている未熟児の場合には、単に肺に空気を出し入れするだけではいけないということが判明し、今後の新生児に対する人工呼吸法は大きく変わることになる。人工呼吸によって空気で肺水を押し込む必要があるということだ。このような人工呼吸法はこれまでも一部の病院で試されていたが、この研究によってその有効性が立証され、現在オーストラリアや米国の病院で積極的に取り入れられるようになっている。

図3.空気導入中のウサギ新生児胸部の屈折コントラストX線画像
図3.空気導入中のウサギ新生児胸部の屈折コントラストX線画像

横向きに寝た状態では、この画像のように肺の上下で空気の入り方が不均一になることが多い。この肺では上半分には空気が多く入っており斑点状に見えるが、下半分は空気が主要な気管支にしか入っていない。