ソフトマター
ポリマーと有機表面のナノ・メソ構造を見る
機能材料としてのポリマーの可能性
ポリマー(高分子)、プラスチックス、液晶、ミセルなどの柔らかい物質はソフトマターと呼ばれる。炭素、水素、酸素、窒素原子などを中心に、多数の原子が共有結合でつながった分子でできた有機化合物である。
タンパク質、DNA、多糖類は高分子であり、天然に存在する絹、羊毛などの繊維、天然ゴムも高分子である。今日ではソフトマターは、宇宙材料から自動車用部品、日常のあらゆる生活用品、液晶テレビや携帯電話などの電子機器、バイオメディカル関係で活用され、印刷 · 接着 · 塗料などの幅広い分野ではフィルムとして使われている。
20世紀初頭、人類が初めてつくった合成高分子はフェノール樹脂だった。ポリマーは原子が線状に数百個から数万個ひも状につながった巨大分子であるという「高分子」の概念は、H. Staudinger(1953年ノーベル化学賞)が1926年に提唱し、学界に受け入れられたのは1930年である。Du Pont社の W. H. Carothersによる絹よりも強い繊維「ナイロン」の合成※1は1935年、日本の純国産第1号繊維である「ビニロン(ポリビニルアルコール)」が京都大学の桜田一郎らによって合成されたのが1939年だった。
ひも状の巨大分子であるポリマーは、加熱により柔らかくなり室温に戻すと加工された形態を保つ熱可塑性(plasticity, プラスチックの語源)を示し、実用材料としての大きな可能性をもつ。P. J. Flory(1974年ノーベル化学賞受賞)は、このポリマーの物性と分子構造との関係を明らかにし、その後、高分子の物理化学の研究が進んだ。またポリマーの合成化学も、ラジカル重合法、重縮合法のみならず、M. Szwarcが分子量のそろったポリマーをつくるリビング重合法(Topic10の基礎)を開発し、K. ZieglerとG. Natta(1963年ノーベル化学賞受賞)がポリエチレン、ポリプロピレンの立体規則性重合法を確立して、高分子の重合法は一通り出そろい、高分子であることの一般性 · 普遍性を明らかにする高分子のサイエンスは、1970 - 80年代に一段落したと考えられた。合成高分子分野のノーベル賞のリストを図1に示す。
1980年ごろから高分子科学の対象は、力学物性を中心にした構造材料としてのポリマーの合成(重合) · 構造 · 物性を中心とする研究に加えて、さまざまの機能材料としてのポリマーの可能性に対する挑戦が始まる。
本来は電気を通さない絶縁体であるポリマーが、分子構造の中に共役二重結合を連続して含む時には電気を通す導電体に変わることを初めて示し、そのフィルムの合成法を発見したのは白川英樹博士(2000年ノーベル化学賞受賞)であり、白川博士の先駆的研究が現在の携帯電話に使われている導電性フィルムへとつながり、有機薄膜トランジスター(TFT)(Topic 9)へと発展している。このほかにも、透明性、蛍光性、光変色、非線形光学効果、光応答性などの光機能ポリマーや有機EL、バイオポリマーや生医用高分子、ミセル系など、機能性ポリマーの研究が進んだ。それにつれて、分子のつながり方自体がナノスケールで変化して、さまざまな構造をもつポリマーが分子設計によって合成されるようになり、それらの分子構造や高次構造を決定する新しい分析手法の開発が待たれるようになった。
物づくりの強力な武器「放射光X線」
物質の構造決定の手法には顕微鏡観察と回折散乱測定がある※2。1950〜60年代におけるポリマーの高次構造決定の主な手法は、結晶性ポリマーについてはX線構造解析だった。80〜90年代には顕微鏡観察の手法が進歩し、透過型や走査型の電子顕微鏡に加え、原子間力 · 光近接場 · 共焦点顕微鏡などの登場により、表面の観察技術はミクロからナノスケールへと著しく進歩した。しかし顕微鏡はあくまで試料の微小部分を見るもので、全体の把握はできない。また表面が中心で、物質内部の原子構造や高次構造、あるいは物質の早い動きは見えない。ここにX線や光の回折 · 散乱による構造研究の必要性がある。
可視光は波長が400 nm(ナノメートル=10-9 m)以上だが、X線は波長が0.1 nm程度なので原子 · 分子のnmの結晶構造も見ることができるし、小角X線散乱(SAXS)では1 nmから1 μm(マイクロメートル=10-6 m)までの広い範囲の結晶でない粒子や不均一構造も観測できるようになった。Topic7は高輝度の放射光X線を用いてポリエチレンのナノ結晶核形成過程を初めて直接観察した研究、Topic10は100 nmスケールの準結晶の発見をSAXS測定で証明したものである。薬物送逹システムを実現するナノ粒子の正体はTopic 8で扱っている。また、SPring-8などの第3世代の放射光を使うと、光源の輝度が高く指向性がよいので、全反射臨界角以内のすれすれ入射(GIXD)で試料表面数nmの範囲の結晶構造を検出したり(Topic 9)、マイクロビーム(MB)で10 μm程度の微小領域の局所構造を明らかにすることも可能となる。ここにSPring-8放射光がソフトマター研究に必要な理由がある(図2)。
ビニロンのX線結晶構造写真(図3)は1950年代当時の最先端技術で、繊維束をまとめて数時間かけて測定したものである。京都大学化学研究所に保管されていた当時の極細単繊維(直径約15 μm)を1本取り出し、2010年2月にSPring-8に竣工したフロンティアソフトマター開発産学連合体専用ビームライン(BL03XU)で新たに測定すると、図4のようなシャープな広角(WAXD)と小角(SAXS)の回折散乱パターンがわずか20秒で得られた。50年前には推定であった構造モデルの詳細が、まさに定量的に明らかになったのだ※3。
このように、個性化を目指すこれからのソフトマター科学と物づくりのサイエンスにとって、ナノ · メソ領域での構造を明らかにする放射光X線は、その個性の秘密を探る強力な武器である。SPring-8は新たな挑戦を待っている。
※1.井本 稔、ナイロンの発見、東京化学同人(1971)
※2.野瀬卓平 · 堀江一之 · 金谷利治編、若手研究者のための有機 · 高分子測定ラボガイド、講談社(2006)
※3.SPring-8ホームページ>プレスリリース>2010年2月4日
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2010/100202
はじめの4件が高分子の普遍性の研究であり、引き続く2件は機能性ポリマーに関係している。
新しい物性 · 機能の実現をめざす物づくりのサイエンスにおいて、新物質を合成したときにそのナノ · メソ構造を確定するのがSPring-8である。
図3. 1950年代に報告されたポリビニルアルコールの繊維写真
(仁田勇監修「X線結晶学」、丸善、1959より引用)
図4.SPring-8のBL03XUで測定した直径15 μmのビニロン単繊維1本(a)からのSAXS (b) およびWAXD (c) パターン
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